おはようございますくもり


なんだか寒い月曜日ですが、今週1週間、また元気にがんばりましょうねニコニコ



さて、今朝のニュースで驚いたのが、

「首都圏で直下型地震が、4年以内に70%の確率で起きる」

という、東大地震研の発表です。


これまで、政府は「30年以内に70%」と発表してきたので、

これはかなり切迫した確率だと言えます。



実は、こんなタイミングで不思議な感じですが、

昨日は、お正月に録りためた映画や番組を見なきゃ!と、

年末にCSで放送された、小松左京原作のSF映画「日本沈没」を見たんです。


1973年の作品ながら、まず、ものすごく緻密に、そしてわかりやすく地球の構造やプレート理論を説明してくれていて驚きます。

深海での異常を発見した大学教授が危機感を募らせる中、政府お抱えの学者は悠長な意見を繰り返します。が、ほどなく巨大地震が起き、工業地帯のガスタンクが爆発炎上・・・。まさに3・11に見た映像と同じ光景が広がるのです。

そして、「関東大震災は火事でみんな死んだんだ!」「大丈夫!台所の火は消したから!」と肩を寄せ合う家族が、あっという間に津波で飲まれていく・・・

あまりにリアルで、まるで大型のプレート型地震が起きたらどうなるかを予見していたかのようでもあり、心臓がバクバクしました。

小松左京という人の先見性と分析力の凄さに、あらためて驚きました。



また、その中でとても印象的な言葉だったのが、

日本列島の危機を最初に見抜いた教授役の小林圭樹さんが、

「キミ、科学者にとって一番大切なことは何かね?」と聞かれた時のセリフ。


「勘です!」


・・・・え?

科学者って、数々の情報やデータに基づいて確かなことを導きだすことが仕事じゃないの?と思います。


すると、教授は近くにあった新聞紙をビリッと破り、その破れ目をまたゆっくり合わせながらこう言います。


「こうしてみれば、もともとつながっていたんだということがわかりますよね。

1912年に、ドイツのウェゲラーという学者が世界地図を見ていて、ヨーロッパとアメリカ、アフリカと南米が、(新聞を合わせながら)このようにつながる、彼は勘でそう想い、大陸移動説というのを発表したんです。

しかし、それを実証するほど科学技術が進歩していなかった。彼は世界中の学者の笑い物になり、1930年に死にました。しかし現在では、この大陸移動説を疑う者はもう誰もいません。」


なるほど・・・。

確かに、科学者は大前提として「想像する力」が大事なのかもしれません。

そしてそのことは東日本大震災、そして原発事故で、私たちが一番教訓としたことではなかったでしょうか?

これまでのデータではこうだから、と、素人目で見て楽観的で都合のいい分析を出してくれる人の方がいろんな面でありがたかった部分もあるのでしょう。私たち国民も悲観的な予測は一笑に付してきました。その方が安心でしたから。

しかし、それによって犠牲にしたものがあまりに大きすぎます。


小松左京さんは東日本大震災の4ヶ月後に亡くなりました。

どんなことを感じながらこの世を去って行ったのでしょう・・・。

「日本沈没」はエンターテイメントとしての評価があまりにも高く、そちらばかりが注目されてしまって、本当に小松さんが伝えたかったことを、私たち客はちゃんと受け取っていなかったのではないかと感じ、色々探してみたところ、

震災の1年前、2010年の4月の東洋経済のインタビュー記事を見つけました。

「長老の智慧」というコーナーで4回にわたって連載されています。


(第2回)

「文学とは何か」と追究していく中で気がついたことは、「物語性」です。ストーリーはヒストリー(歴史)と同じ語源で、「調べる」「尋ねる」という意味がありますが、「うそ」「作り話」という意味もあります。人間は言葉を使い始めたときから、「物語」を作り続けてきたのではないでしょうか。それが口承文学として語り継がれ、神話や説話、歴史になってきたのではないでしょうか。その頃の「物語」は、あらゆるイメージの総体として「哲学」と言ってもよかったかもしれません。それがある時期から「科学」と「文学」に分かれてきたのです。

僕がSFに惹かれたのは、そうした「文学」と「科学」を、もう一度、「哲学」に一体化できるかもしれない、という気がしたからです。

 科学の世界には「虚数」という概念があります。英語で言うと「イマジナリーナンバー」です。そうです。科学の世界でも「イメージ」することは大切なのです。文学も科学も共有できる世界があるのです。

 僕はいろいろな先端科学者と交流してきましたが、彼らの多くは実に人間的で、SF作家もビックリするくらいとんでもない発想をします。

 科学者が解明した世界から物語を編み出すと同時に、「美」や「愛」といった、数式では表現できない世界を文章で表現することによって、逆に新しい科学のイメージが広がるかもしれない、と思っています。


そして最後、第4回の5月6日には


今の日本の若い人には、もっと生々しい歴史を学んでほしいと思っています。
日本は幸か不幸か地震の多い国です。1995年1月には、阪神大震災で6000人を超える人が亡くなりました。若い人はこうしたつらくとも生々しい歴史から学ぶという訓練を、自ら進んでやってみてほしい。


阪神大震災のあった早朝、僕は大阪・箕面の自宅で寝ていました。庭の石灯籠ががらがらと倒れ、すぐに跳ね起きた。テレビの映像を見て、多くの公共建造物やインフラが、こんなにももろいのかと愕然とした。現場を見て回り、可能なかぎり検証したいと痛烈に思いました。


と、現場を回り、専門家の意見を交えて新聞に連載し、96年には「小松左京の大震災95」という本でまとめています。


そして最後、こう締めくくっています。


最後に環境問題について触れましょう。自然の姿を虚心かつ精密に見ていくと、決して優勝劣敗や適者生存で生物が残ってきたという証拠はありません。生物種はあるとき大絶滅をするけれども、そのうちのいくつかが途絶えないで、次の世代の多様性を生み出してきました。

 残ったのは、優れているからとか強かったからではなく、ただ運がよかっただけです。

 地球は何回も大変動を繰り返していますが、それでも生命は絶えませんでした。「地球にやさしく」とよく言われますが、地球は決して生物にやさしくはないのです。環境問題には、このような地球上の生命の一つとして人類をとらえる視点を持つことも必要でしょう。


ここ100年くらいで、私たち人間は生物界のトップとして、全てをコントロールできると過信してきました。
しかし、同じ生物の一種類・・・。 大きな目線に立てば、地球という巨大生物に寄生して生きる存在のひとつで、その進化、変化に翻弄されるリスクは他の生物と同じだけあるのです。



「日本沈没」では、危機に陥ったときの政府の対応も、非常に生々しく描かれています。

そして、総理大臣を演じた丹波哲郎さんの、勘と決断力の早さに、今、国を背負う人には是非学んでほしいと思うところがたくさんあります。


是非、皆さんも機会があったら1973年のこの映画を見てほしいです。


そして、東大地震研が今あえて政府見解よりも踏み込んだ発表をしたことを、私はそれなりに受け止めたいと思います。