こんにちは音譜

乾燥がつづく毎日ですが、皆さん風邪は大丈夫ですか?

私は、週末からのどの奥が痛い日が続いていますが、マスクと「のどぬーるスプレー」とうがいを重ねて、ギリギリのところでなんとかしのいでいますガーン

そろそろインフルエンザのニュースも聞こえてきそうですから、お互い気をつけましょうねグー



さて、大晦日に、オウム真理教の平田信容疑者が出頭し、

平田容疑者と17年間の逃亡生活を共にした斎藤明美容疑者も昨日出頭しましたね。


私は当時「スーパーモーニング」で連日オウム事件を伝えていましたので、

このニュース、そしてこの名前には、驚きとともになんともいえない重い気持ちがよみがえってきます。


当時はまだ私も若かったので、毎日次々と明らかになる衝撃的な事実を伝えることに精一杯で、

じっくりと考える余裕などありませんでした。

ただ、印象に残っているのは、サリン事件で強制捜査に入った直後に、スタジオに来たオウムの幹部の面々の青白い顔と、異様なまでに澄みきった目。

相手の目をじっと見すえながら話す姿勢には、迷いも躊躇も後悔も一切感じられませんでした。

その姿、言葉があまりにも堂々としていたので、私などは「もしかしてホントに違うのかしら???」と思ってしまいそうでした。

しかし、その後ほどなくして、自信たっぷりに説明をしていた幹部が次々と逮捕され、私たちが想像していた犯罪のレベルをはるかに超えて、テロというより、本気で国家転覆を考えていたことが明らかになっていったのです。


そういえば、済んだ目で確かに言っていました。

「私たちの目指すところは社会革命です」と・・・。



あれから17年。

結局オウム真理教とは何だったのか、そしてあの一連の事件は何だったのか、

じっくり向き合って考えることもせず、時間は流れ、裁判も終わってしまいました。


熾烈な受験戦争を勝ち抜いた優秀なエリートたちが、なぜあの麻原の教えにのめりこんでいったのでしょうか?

確かに世の中は決して完璧じゃないし、間違っていることはたくさんあるけれど、いわばその世の中でも勝ち組であるはずの彼らが、何に怒り、悲しみ、不条理を感じて、麻原の暴走に何の疑いもなく手を貸していったのでしょう?

あるいは、逆に何も考えてなかった・・?つまり、受験勉強をまじめにがんばってきた人たちですから、麻原の唱える新たな理論はすぐに覚えたけど、本当の意味で自分自身の頭と心で考える力がなかったのでしょうか?

そう考えると、教育の在り方や、本当の意味での人材とは何かということも考えさせられます。


ただ、オウムの考えこそが正しくて、そのためには無差別に人の命を奪ってもいいというとんでもない論理に何の疑問も抱かなかった「マインドコントロール」の怖さ、そして人の弱さ。このことに関しては、オウムだけが特別だと片付けてはいけない気がします。

戦争の時などは特にそうですが、「世論」とか「ムード」にマインドコントロールされて色んな事を正当化していくことを、歴史は何度も繰り返してますよね。

それだけ、人は弱い存在なのかもしれません。

だからこそ、弱い存在だと認めたうえで、なんとか間違った選択をしないように常に自分自身に問いかけていくことが必要なのだとつくづく感じます。


あれから17年。今回のことで新しい事実が出てくることはないのかもしれません。

でも、この機にもう一度、あの事件がはらむものを考えたいです。

程度の差はあるにせよ、いつ、何がきっかけで自分もマインドコントロールの危険にさらされるかわかりません。

そして、政治、経済、国際情勢・・不安要素が多い中で、そうした状況は作り出されやすいものなのかもしれません。

何が正しい情報で、何が良心か、それを照らし合わせて判断できることの大切さを、あらためて肝に銘じたいと思います。