昭和30年代の私のもっとも

偏屈なかわいげの無い。

もっとあげるならまったく

ほんと可愛いくなかった。


その頃の父の仕事は

豆腐店を営んでいました。


一方これからお話しする方

はおうちは旧家 つまり売る

買うは個人販売ではなく

取りしきする相手は

海外相手 そのお宅に行くと

外人さん《その頃はそう呼

んでいた》 が来ていたのも

珍しかった。

それよりも留学..海外生活

など金持ちがすることと

思い込んでたそんな時代だ。

鼻っぱしらの強い私は

富に恵まれていれば十分

興味深い話しだった

に違いない。



☆大きな庭ではよく
*かくれぼしたりこのお宅
が所有する空きでは
盆踊りを開催していた。
今は当たりまえにして

いますが友達と口々に

ありきたりではあったが

《☆カワミンは文明開化

の音がする。》と

うらやましがっていた。


その頃に苦手なものと

言われたら即外人さん

英語で話しかけられても

チンぷんカンぷん?

教える立場の教師さえ

日本からでたことない

人ばかり英語など知らない。

国など静かにしてたもんだ。


私などは家族そろっての

完全なる田舎かぶれ。

そこにふってわいたお招き

の話しに 父は何故か

積極的であった。

つまりそちらの事情を聞いて

でわ、我が娘をと志願した

らしい。



庭にはいつもカラフル
な花がさき いつも庭師が
顔出し華やいでいた。


これはこれからたびたび

ブログで紹介させてもらい

ますが 今日のお話しは

それではなくて

私は家が忙しく朝の仕事

にもりっぱに一員に数

えられ学校はほとんど

遅刻組でした。


なにが辛いかと言えば

よそさまがたのしむお祭り

や四季折々の行事は忙しく

みんなが着飾ってお出かけ

する時 決して大袈裟では

なくかげのはじこでそれを

見送る。


そんなある日旧家の

お嬢さんからのおうちへ

お誘いを受けたのです。

何故(?_?) 私の他に3人 

もちろんなにを着て

行くかで…😌まとまらない

まま当日が来てしまいました。


その時我が母は落ち着き

払った態度にて……🤭

盆踊りようにあつらえた

*絣柄の色合いシックな

銘仙の浴衣を着せてくれたの

でした。



訪問先は全てが様式。

着ている洋服もドレス姿。

お部屋に着くまでの絵画

たくさんの彫刻

其れもそのはず母上は全て

海外生活ですべてを学ぶ。

ピアノ協奏曲が流れるなか

何故か私は母が選んでくれた。

銘仙の浴衣でいま思っても

しっくりとしたその浴衣は

その場にあっていた。



お部屋はどこかしこも
お花いっぱい。
みんなお庭から摘んで
来たのよ……🌹。🌺

さらりとおっしゃって

ドレス姿で*タンしてグラス

に手を なんてステキなの。

あとにも先にもこんな人

見たことない。

だってそうでしょ。

かおだちも日本人離れした。

ましてや教養が備わっている。

何の不服があるものか。


警戒していた外人の方

あとでわかったのは旦那様。

こちらも腰の低い。

やんわりと私のまえに来て

《お!ブラボーとても

 キュートです。》

その時の私はきっとこんな。

おねがいウインクラブでして。

何故か好きで読んでた本

まるでシェイクスピアの

世界や!……まるで単純!🤭


今日はここまでにします。

また後ほど。

こんな楽しいこともたくさん

あったの です。

その時の私の浴衣のお話し

その後どうなったか。

なども、最後までおつき合い

ありがとうございます。


☆……🍀🤗🎀💕……》