少子高齢社会が問題視されて久しい。

50年後の日本、60%が「暗いと思う」 若者世代に多く 内閣府世論調査

高齢社会が暗いと思われているようだ。その主な原因は経済分野においてである。生産性が落ちることを懸念しているに過ぎない。しかし、不断の努力によって日々生産性は向上し、人を不要にしている現実は加味されていない。

豊になれば子が増えると未だに言っている人たちもいるが、50年前と現在を見比べればそういう戯言を発っすることを恥ずかしく思うべきではないだろうか?現在に於いても、人口が増えているのは貧しい国であり、豊かな国ほど少子化に喘いでいる現実から目を背けてはいけないと思う。

高齢期の社会的孤立

高齢者の孤立化は避けられない。孤独死は年々増加している。人は死ぬときは一人であるから、孤独死というのは問題とは呼べないかもしれないが、寂しいことである。死ぬときは一人だから誰かに見送ってもらいたい。

孤独死を遂げる人は、旅立つ瞬間に大いなる後悔に苛まれるだろう。それを後世に伝える術はない。孤独死を迎える人には、それなりの原因がある。しかし、最終的にそう仕向けるのは自分自身である。人にとって最も大きな責めを追うときであるのかもしれない。

人は、そも文字が示すように、一人で生きていけるものではない。常に誰かの支えによってこの世に生を繋いでいるのである。つまり、ある意味、孤立ということは、その時点で人ではなくなるということなのかもしれない。

きっと、そういう風に追い込まれてしまうのではないのだろうか?
我々、人は、その追い込んでくるモノと戦わなければいけないのかもしれない。

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そうやって、人ではなくなった生き物は、こういうことを平気でやってしまうのである。人の社会の未来は子によって築かれる。だから、子は社会の宝と称されるのである。少子化が暗くなるのは、社会を照らす宝が減るからなのである。

未来を失った人に残されるのは、絶望である。その絶望の中で生きるのは辛い。残された今を必死に守るしかないのだ。そして、今を壊す存在は全て敵となるのである。

今という現実をぶち壊した先に未来がある。壊すべき今を守るというのは大いなる悲劇としか言えないだろう。何故、そういう状況になったのだろうか?

人は全て赤ちゃんで生まれ、子どもを経て大人になる。この過程を忘れてしまうことが悲劇の始まりなのだろう。人間社会で人として生きるのはもはや難しいことなのだろうか?

全ては、人が人として生きるかどうかを問われているのではないのだろうか・・・

解決するのは実に簡単な問題だが、そこに目を向けなければ最も解決できない問題でもある。知識や智恵といった小手先の手段を考えている間は不可能であり、その現実が日々我々人間を滅亡へと誘っているのだろう。

見えている危機は問題ではない。見えない危機こそが問題なのである。