最近さ、

現実の世界(要するに仕事)で色々あって

正直、『ブログ』って気分でも無かったんですよ。


んで、メチャメチャ久しぶりの更新に

なったんですけど・・・。



人生って難しいね(笑)




ま、あんまりプライベートな事は

書きたくないんだけど、色々大変でした・・・


って言うか、今現在も大変です(笑)




で、いつも以上に


『人生って何!?』


って感傷的な哲学的な日々を送ってるんですけど。





最近、僕が思うようになったのは


『結局、人が生きてく上で

優越感は絶対必要なのかな』って事。



例えば、皆、必死になって働いてお金を稼ぐのも

本当は

お金そのものが欲しいワケじゃなくて

『私は沢山のお金が稼げる価値の高い人間ですよ』


って言いたいだけなのかな、って。



実際さ、

高級車とかに

その金額に見合うだけの価値なんて絶対無いよね?


家賃何十万の部屋とか

ブランド品なんかにも。


本当に欲しいのは

それらを手に入れる事によって得られる

『優越感』ですよね、きっと。




あと、

人間は老いるワケですよ。

誰であろうと間違いなく。


で、自分自身は衰えていくから(特に肉体的に)

お金やモノ、権力や地位を使って

『私には価値がある!!』って

主張するんでしょうね。




結婚して家庭を持とうとするのも

同じ様な理由もあるのかもしれませんね。


『親』って立場が欲しかったり、

誰かに頼られたかったり・・・


だとしたら

メンドくさいね、人間って(笑)




ま、僕はそういうの

いっさいがっさい興味が無いんだけど、


でも、冷静に考えれば

それは僕が『自分自身の事を能力が高い』って

勘違い出来てるからなんですよね、間違いなく。


だから、そういう意味じゃ

僕も他の人と本当は全く同じで。


『お金や地位』で

優越感を得ようとしてるか

『純粋に自分の能力』で優越感を

得ようとしてるか

の違いだけ・・・。




例えばね、

『世界が平和で皆が幸せでありますように』って

願ってる人っているじゃないですか。


そういう人も、嫌な言い方をすれば


『私は他の人より優しい気持ちを持ってる』って事に

優越感を持ってたりするワケですよ。


人間にとって一番大切なのは

『他人を思いやる気持ち』

みたいにね。


ま、こういう言い方をすると

本気で

『世界が平和で皆が幸せでありますように』

って願ってる人に失礼だけど。




とにかく、

今の世の中って

何かと人をバカにするんですよね、きっと。



『え?○○も出来ないの?(笑)』とか、


『○○も持ってないの?(笑)』とか。



で、劣等感を感じやすい社会の仕組みになってるから

その反動で何かしらで優越感を得ようとする。



大体、冷静に考えたら収入が少なかろうが

独身であろうが楽しく生きていれば

全く問題ないはずなのに

『負け組』とか言われたりしますもんね。


人生を楽しめてる時点で

間違いなく『勝ち組』なはずなのに。




いや、でもね、散々愚痴を書いたけど

今の世の中が

それほど生き辛いとは思わないんですけどね。


僕は割と今の世の中、気に入ってます(笑)


でもね、『もうチョットやりようあるんじゃない?』

とは思うワケです。


で、正直、

『皆で世の中って

どうあるべきか本気で考えてみない?』


タイトルにこじつけるなら


『ヒトという動物について

皆で考えていこうよ!』とは

思ってます。




久しぶりの更新なのに

重たい話題でスミマセン(笑)


(って言うか、誰ももう来てないだろうけどね(笑))






『ヒト』以外の動物は

ただ純粋に『生きる事』自体を

目的に生きてるけど、

『ヒト』は人生に『生きる事』以外の

何かを求めがちですよね?



例えば、『仕事での成功』だったり、

『子供を立派に育てる事』だったり。


本来、『ヒト』だって他の動物達と同じ様に

生きる為に生まれてきたワケで

何かを成し遂げる必要なんて無いはずなのに。




結局ね、

『ヒト』が人生に対して分かり易い何か(目的)を

求めてしまうのは

世の中が人に対して厳しい構造になってる事が

原因だと僕は思うんですよ。




現代にしたって一見すると

自由で、どんな生き方をしてもいい様に見えるけど

実際は

『こう生きるべきだ』みたいな暗黙のルールが沢山あって

メチャクチャ不自由ですよね。



例えば、僕は

ある程度、本気で

『気楽なフリーターをやりながら

自分が使う分だけ稼ぐ生活をしたい』

って思ってますけど、

実際、そうしたら、周りの人は

僕の事をかなり批判しますよね。


『いい歳して、何やってるんだ!』みたいな

テンションで。


自分が使う分を自分で稼ぐのなら

誰にも迷惑かけてないし

本来、何の問題も無いはずなのに。





僕はね、世の中の、こういう部分が大嫌いなんですよ。


『こう生きるべきだ』みたいな暗黙のルールが

沢山あって、しかも間違ってる事が。


別にね、どんな生き方をしても良い、なんて

僕は思ってませんよ。


『ヒト』として幸せになるには

守るべきルールが沢山あるのは分かってます。


でも、僕から見て、一般的な人は

そういう守るべきルールは守らないのに

くだらない間違ったルールばかりを作って

それを守ってる様に見えるんですよ。



だから、僕は基本的に

一人で生きてるワケです。


間違った価値観を持った人達と関わっても

自分の人生が詰まらなくなるだけだから。



でもね、本当は、そんな生き方したくないんです。


そりゃ、僕だって人と関わって生きていきたい。



そもそもね、『ヒト』って生き物は

社会性を持った生き物ですから

潜在的には、皆、『誰かと関わりたい』と思ってるはずですし。




話がそれちゃいました・・・(笑)



でね、話を一般論に戻すと

世の中は

何かにつけ、人の事を批判しやすく出来てるワケです。


だから、

特に真面目で

自分に都合の良い勘違いが出来ないタイプの人は

自信を失いがちで、


失った自信を取り戻す為に

人からの評価を得ようとして

人生に目的を、そして結果を求めてしまい

がちなんですよ、きっと。

(例えば、仕事や子育てに)



だから、

『人の事を批判し易い社会構造』自体を無くさなければ

僕がいくら

『仕事に一生懸命になりすぎる事は

決して良い事ではないよ』って言った所で


『仕事を一生懸命する事』自体が

生きる上での自信の根拠になってる人には

あまり意味が無いとも言えるワケです。



で、この話の落とし所なんですけど・・・


そもそも、自分が持ってる『自信』を失わなければ

『ヒト』として不自然な生き方をしなくても良いはずで

だから、

自信を失わせる様な人

(その人が仮に『アナタの為を思って』なんて言ったとしても)

とは、なるべく関わるべきではないし、

自分に対する悪い評価は

なるべく聞かずにすむ様な生き方をした方が良い、


って所にしておきます。


(う~ん・・・全然まとまってないですね(笑))





「私の宝物は友達です」とか

「私の宝物は彼氏です」とか言うコいるじゃないですか?


僕、そういうコ好きじゃないんですよね。



と言っても、別に今、僕が一人で生きてるから

楽しそうにしてる人を

ひがんでるワケじゃないですよ、勿論。



「私の宝物は友達と過ごした時間です」

とか言って欲しいんですよ。


この違い、分かってもらえます?




まずね、人を「所有物」の様に扱ってるのが好きじゃない。

(宝物って・・・)


それに、この考え方の根底には

「一度、友達になった人とは、ずっと友達」

みたいな考えがある様な気もするし。


「それで良いじゃない」「何が悪いの?」

って思う人もいるでしょうけど・・・。




僕はね、友達にしろ、恋人にしろ

「お互いに魅力を感じなくなったら一緒にいるべきじゃない」

と考えているんです。



何て言うのかな・・・。


この緊張感って大事だと思うんですよ。


「どんな風に変わっても友達」って

一瞬、聞こえは良いけど、

本当は凄く甘えた考え方だと僕は思うんです。


「ワガママになったら友達なんかやめちゃうよ」

ってハッキリ言えるのが本当の友達だと

僕は思うんですけどね。



あとね、「友達が宝物」って言ってるコって

僕のイメージでは

「いつも寂しがってる」「一人で時間を過ごせない」

みたいな

要するに精神的に自立できていないイメージ。




それとね、

「誰かを幸せにする人になりたい」って

言ってるコも好きじゃない。


そんな事を言ってるコに限って

自分の人生を楽しめてなさそうだし。


僕にはね、

世の中の全ての人が自分自身を幸せに出来れば

世界に不幸な人は一人もいなくなる

という考えが根底にあるんです。


勿論、これはあくまで「キレイゴト」で

現実的じゃないって事は分かってますよ。


でもね、

「誰かの事を幸せにするより、

まず、自分自身を幸せにしろ!」

って言いたいんです。


今の世の中って人間関係がとても複雑で、

お互いの利害が絡み合いすぎて

正直、足を引っ張り合ってるように見える。


だから、

「まず、一人一人が自分自身を幸せにする事を考えて、

その後、自分にとって大切な人を幸せにするべき」

と僕は考えてるんです。


分かってくれるかなぁ、この感覚。




実際ね、案外、難しいです。

自分で自分を幸せにするのも。


自分以外の誰かに何かをすれば

「ありがとう」って大抵言ってもらえるから

「幸せにしてあげた」って勘違いできるけど、

自分相手じゃ、そうはいかないし。


だから、誰かを幸せにするのも本当はメチャクチャ難しい。


「誰かを幸せにしたい」なんて事言ってるコは

正直、大抵そんな事出来てない。


「喜ばれてる」って勘違いしてるだけ。

(嫌な言い方だけど・・・)




「友達」も「恋人」も大切だと思います。


僕も当然これらを拒絶したりはしてません。


でも、一般的な「友達観」や「恋人観」は

僕から見ればメチャクチャ馴れ合ってて気持ちが悪い。



互いに一人で生きていける。


でも、一緒にいた方がより幸せだから一緒にいる。


それが友達じゃないの?恋人じゃないの?




こんな考え方をする僕って、やっぱり変わり者ですか?


「心頭滅却すれば、火もまた涼し」


僕は、この言葉が嫌いです。


何故なら、「訓練しだいで心は自分の思い通りに出来る」

とでも言ってる様だからです。



僕は自分自身の心が僕の思い通りになる

なんて思っていません。


いや、厳密に言えば


「思い通りに出来るのかもしれないが

そんな事をしても人生がつまらなくなるだけだ」

と思っています。



今回は

「僕が”心”を、どう捉えているか」について

書いてみたいと思います。




「馬」という動物がいます。


馬は人を背中に乗せて走る事が出来る

人にとって非常に便利な生き物です。


手綱を上手くさばく事によって

馬は、おおむね思い通りに動かす事が出来ます。


とは言っても、

勿論、穏やかで人の指示を素直にきく馬もいれば、

気性が荒く、乗っている人を

振り落とそうとする馬もいるでしょう。


また、同じ馬であっても

その日の機嫌の良し悪しによって、ある程度

「コントロールのしやすさ」に違いがあるのかもしれません。




例えば、仮に、アナタが

「今日から死ぬまで一生

移動手段は自分に与えられた一頭の馬のみ」

とされてしまったら、どうするでしょうか?

(勿論、この例え話は現実的ではありませんが)


僕なら、まず、馬という動物について理解しようとし、

次に自分に与えられた馬について理解しようとします。

(馬にも、当然、個体差があるので)


何をすれば喜ぶのか、何をすれば悲しむのか。



勿論、なるべく無理はさせません。


間違っても「乱暴に自分の思い通りにしよう」

となんてしません。


何故なら、その馬が僕のいう事を聞いてくなくなった時、

一番困るのは僕自身だからです。




僕は人間について考える時、

「心」と「頭」を区別して捉えるようにしています。


「心」とは喜んだり悲しんだりする、感情的、感覚的な部分。


「頭」とは理性的、知性的に情報処理し、

最終的に物事を決断する部分。


(勿論、これらは脳の部位によって明確に分けられたり

しているモノではないので、

この区別は、あくまでイメージ的なモノに過ぎませんが)




僕の考える「心」と「頭」の関係性は

先に挙げた「馬」と「人」の関係性によく似ています。


「心」が「馬」で

「頭」が「人」です。



つまり、人間は常に

「心」の上に「頭」が乗っている様な状態

だと僕は考えています。


「あーしよう」「こーしよう」と判断するのは「頭」


しかし、実際、そうするには必ず「心」の同意が必要。


人間には「本当に心が嫌がる事」は絶対出来ません。




そして、人が何かをする原動力になっているのは

自分自身の「心」です。


「心」の状態によって

何をするにしても結果が大きく違うのは言うまでもありません。



また、「人」が「馬」を「手綱」を使ってコントロールする様に

「頭」は「心」を「言葉」によってコントロールします。


だから、人は我慢が出来ます。


やりたくない事も、ある程度なら出来る様になります。


社会が形成できるのは

一人一人が心をコントロール出来ているからです。




しかし、「頭」が「心」を「言葉」によってコントロールする事は

「人」が「馬」を「手綱」を使ってコントロールする事と同じ様に

本来、不自然な事です。


ですから、本当は十分な配慮が必要です。



「乱暴な手綱さばき」によって馬にストレスを与え続ければ

いつか、馬はいう事をきいてくれなくなるかもしれない様に

「言葉」を使って「心」をコントロールしようと

しすぎると、いつか、自分の「心」が自分のいう事を

全くきいてくれなくなるかもしれません。




「人間が、どんな人生を送れるか」は

「心」に全てかかっている、と僕は考えています。


「心」が良い状態であれば何だって出来ます。


そして、何より「良い人生」が送れます。


しかし、「心」がダウンしてしまうと

人間は完全に何も出来なくなります。




だから、僕は僕自身の心の声を常に聞くように

心掛けています。


自分の心が「自分の思い通りになる」なんて

全く考えていません。


むしろ、僕の心は繊細なので、一般的な人より

ずっと丁寧に扱ってあげる必要がある、感じています。



僕は

人間は死ぬまで「自分の心」と付き合う必要があるが、

その「心の形」には個人差があるので

しっかり、自分の心の声を聞いてあげる必要がある。

そして、「自分の人生の良し悪し」を決めるのは

「自分の心」の状態なので十分に配慮が必要。

と考えています。


これは僕自身の生き方を決める上でベースになっている

考え方です。



少し、極端な表現をすれば

「僕の人生で最も優先すべき事は

僕自身の心の機嫌をとる事」

とさえ考えています。


感覚的に共感してもらえないとは思いますが

僕は僕自身の心を「自分以外の別の生き物」

ぐらいの感覚で捉えています。

(「人」に対する「馬」の様に)



僕が僕自身の心に、ここまで配慮するのは

僕の周りにいる大人たちの心が悲鳴を上げている様に

見えるからです。


その人たちの人生がつまらなそうに見えるからです。


特に「オッサン」と呼ばれる人たちの人生は

「何の楽しみも無いんじゃないの?」と疑いたくなる程です。


現代社会は

とてもストレスを受けやすい構造になっています。


ほんのチョットした事で

昨日まで笑えていた事に笑えなくなるかもしれません。


大好きだった事柄に興味を持てなくなるかもしれません。



僕は、そうなりたくありません。


ちなみに、現時点では、

とても良い状態を保てていると思っています。



今回は「僕が”心”をどう捉えているか」

について書いてみました。




このブログでは、もう何度も書いてますが

僕は一人で時間を過ごすのが好きです。


実際、プライベートな時間は

大抵、一人で過ごします。


そして、ほとんど何も予定を立てません。


やりたい事を思いつくままにやります。



朝から晩まで同じ作業を続けている事も

珍しくはありません。

(大抵クリエイティブな何かをしています)




よく、成功者の話として

「スケジュールを立てろ!」とか

「身近な小さな目標を作れ!」というモノがあります。


これらは確かに

「何かを成し遂げる近道」なのかもしれません。


人生において

何か具体的に「やりたい事」がある人は

積極的に取り入れた方が良い生き方だと思います。



でも、僕には、そんなモノはありません。


僕の人生の一番の目的は「人生を楽しむ事」です。


ですから、僕の休日の予定は

常にギリギリまで「未定」です。




でも、「人生に何も期待してないんだな」とは

思って欲しくはありません。



僕は自分の人生を

「今後、ますます楽しくなっていくだろう」

と本気で思っています。


実際、僕は

「自分の人生が年を重ねるごとに楽しくなってきてる」

とハッキリ言い切れます。




例えば、僕は

お酒もタバコもギャンブルも一切やりません。

(ちなみに、恋愛からも十年以上、遠ざかっています)


人生を「楽しんだモン勝ち」と考えるなら

これらを積極的に取り入れた方が

良い様にも思えるかもしれません。

(実際、僕にとって

お酒もタバコもギャンブルも「楽しい事」です)


でも、僕はこれらを借金の様なモノと考えています。


一時的に幸せが手に入るだけで

ツケが後で必ずまわってくるモノと。

(ちなみに、少量のお酒なら

むしろ身体には良いとは思っていますが)


具体的に言えば、これらに時間を使えば

「人生を楽しむ能力」が下がってしまう、と思っています。




ですから、僕は時間の使い方には拘っています。


拘った上で

「何もスケジュールを決めない」のが一番だと思っています。


やりたい事をやりたい様にするのが一番だと思っています。


そういう時間が「人生を楽しむ能力」を高める

と思っています。



勿論、「人生に具体的な目標や目的がある人」には

オススメできる時間の過ごし方ではありません。


でも、「楽しい人生を過ごす」には

悪くない時間の過ごし方だと思っています。



そして、僕にとっては間違いなく正しい時間の過ごし方です。