「心頭滅却すれば、火もまた涼し」


僕は、この言葉が嫌いです。


何故なら、「訓練しだいで心は自分の思い通りに出来る」

とでも言ってる様だからです。



僕は自分自身の心が僕の思い通りになる

なんて思っていません。


いや、厳密に言えば


「思い通りに出来るのかもしれないが

そんな事をしても人生がつまらなくなるだけだ」

と思っています。



今回は

「僕が”心”を、どう捉えているか」について

書いてみたいと思います。




「馬」という動物がいます。


馬は人を背中に乗せて走る事が出来る

人にとって非常に便利な生き物です。


手綱を上手くさばく事によって

馬は、おおむね思い通りに動かす事が出来ます。


とは言っても、

勿論、穏やかで人の指示を素直にきく馬もいれば、

気性が荒く、乗っている人を

振り落とそうとする馬もいるでしょう。


また、同じ馬であっても

その日の機嫌の良し悪しによって、ある程度

「コントロールのしやすさ」に違いがあるのかもしれません。




例えば、仮に、アナタが

「今日から死ぬまで一生

移動手段は自分に与えられた一頭の馬のみ」

とされてしまったら、どうするでしょうか?

(勿論、この例え話は現実的ではありませんが)


僕なら、まず、馬という動物について理解しようとし、

次に自分に与えられた馬について理解しようとします。

(馬にも、当然、個体差があるので)


何をすれば喜ぶのか、何をすれば悲しむのか。



勿論、なるべく無理はさせません。


間違っても「乱暴に自分の思い通りにしよう」

となんてしません。


何故なら、その馬が僕のいう事を聞いてくなくなった時、

一番困るのは僕自身だからです。




僕は人間について考える時、

「心」と「頭」を区別して捉えるようにしています。


「心」とは喜んだり悲しんだりする、感情的、感覚的な部分。


「頭」とは理性的、知性的に情報処理し、

最終的に物事を決断する部分。


(勿論、これらは脳の部位によって明確に分けられたり

しているモノではないので、

この区別は、あくまでイメージ的なモノに過ぎませんが)




僕の考える「心」と「頭」の関係性は

先に挙げた「馬」と「人」の関係性によく似ています。


「心」が「馬」で

「頭」が「人」です。



つまり、人間は常に

「心」の上に「頭」が乗っている様な状態

だと僕は考えています。


「あーしよう」「こーしよう」と判断するのは「頭」


しかし、実際、そうするには必ず「心」の同意が必要。


人間には「本当に心が嫌がる事」は絶対出来ません。




そして、人が何かをする原動力になっているのは

自分自身の「心」です。


「心」の状態によって

何をするにしても結果が大きく違うのは言うまでもありません。



また、「人」が「馬」を「手綱」を使ってコントロールする様に

「頭」は「心」を「言葉」によってコントロールします。


だから、人は我慢が出来ます。


やりたくない事も、ある程度なら出来る様になります。


社会が形成できるのは

一人一人が心をコントロール出来ているからです。




しかし、「頭」が「心」を「言葉」によってコントロールする事は

「人」が「馬」を「手綱」を使ってコントロールする事と同じ様に

本来、不自然な事です。


ですから、本当は十分な配慮が必要です。



「乱暴な手綱さばき」によって馬にストレスを与え続ければ

いつか、馬はいう事をきいてくれなくなるかもしれない様に

「言葉」を使って「心」をコントロールしようと

しすぎると、いつか、自分の「心」が自分のいう事を

全くきいてくれなくなるかもしれません。




「人間が、どんな人生を送れるか」は

「心」に全てかかっている、と僕は考えています。


「心」が良い状態であれば何だって出来ます。


そして、何より「良い人生」が送れます。


しかし、「心」がダウンしてしまうと

人間は完全に何も出来なくなります。




だから、僕は僕自身の心の声を常に聞くように

心掛けています。


自分の心が「自分の思い通りになる」なんて

全く考えていません。


むしろ、僕の心は繊細なので、一般的な人より

ずっと丁寧に扱ってあげる必要がある、感じています。



僕は

人間は死ぬまで「自分の心」と付き合う必要があるが、

その「心の形」には個人差があるので

しっかり、自分の心の声を聞いてあげる必要がある。

そして、「自分の人生の良し悪し」を決めるのは

「自分の心」の状態なので十分に配慮が必要。

と考えています。


これは僕自身の生き方を決める上でベースになっている

考え方です。



少し、極端な表現をすれば

「僕の人生で最も優先すべき事は

僕自身の心の機嫌をとる事」

とさえ考えています。


感覚的に共感してもらえないとは思いますが

僕は僕自身の心を「自分以外の別の生き物」

ぐらいの感覚で捉えています。

(「人」に対する「馬」の様に)



僕が僕自身の心に、ここまで配慮するのは

僕の周りにいる大人たちの心が悲鳴を上げている様に

見えるからです。


その人たちの人生がつまらなそうに見えるからです。


特に「オッサン」と呼ばれる人たちの人生は

「何の楽しみも無いんじゃないの?」と疑いたくなる程です。


現代社会は

とてもストレスを受けやすい構造になっています。


ほんのチョットした事で

昨日まで笑えていた事に笑えなくなるかもしれません。


大好きだった事柄に興味を持てなくなるかもしれません。



僕は、そうなりたくありません。


ちなみに、現時点では、

とても良い状態を保てていると思っています。



今回は「僕が”心”をどう捉えているか」

について書いてみました。