このブログは、もうやってないのですが、

今でも時々訪れる人がいるみたいなので

最近、僕が創った詞を載せておきます。


我ながら良く書けた気がします。


では『ことばつかい』です。

どうぞ。



『ことばつかい』



例えば、僕は魔法使いじゃないから

今、ここに稲妻落としたりなんて出来ない。


でも、素敵な言葉を使って

君の心をビリビリ痺れさせるくらいなら

きっと出来なくもない。


だって、僕は『ことばつかい』

言葉を自由に操れるから。



良くも悪くも人間なんて言葉の奴隷さ。

強い言葉に歯向かう事なんて出来やしない。


だったら、上手く利用すれば良い。

聞きたくないなら耳を塞げば良い。


ねえ?そう思わない?




例えば、僕は魔法使いじゃないから

モンスターを一網打尽になんて出来ない。


でも、優しい言葉を使って

君の心に住む魔物を退治するくらいなら

きっと出来なくもない。


だって、僕は『ことばつかい』

言葉を自由に操れるから。



良くも悪くも言葉なんて全部ニセモノさ。

本当の事なんて何も教えちゃくれない。


でも、熱い言葉は勇気をくれる。

どこまでも飛んでいける翼をくれる。


ねえ?そう思わない?




多分、僕らは死ぬまで言葉でつながり、

言葉で考え、言葉で成長する。


それは誰もがきっと同じで

僕だって君だって大統領だって石油王だって

スーパーモデルだってロックスターだって。



例えば、君が世界にウンザリしていて

素敵な未来が想像できなくても


自分の言葉を使って

世界をほんの少し変えるくらいなら

きっと出来なくもない。


だって、誰もが『ことばつかい』

君だけの言葉、力の限り強く叫べ!

人が誰かに伝えたい事ってのは
きっと、情報じゃなく感情なんだよね。
『スゲー楽しい!』とか
『あ~腹立つ!』とか
『メッチャ悔しい!!!』とか。

言葉ってのは
情報を伝える為に発達したツールで

実際、そのお陰で沢山の情報を共有出来るようになって

物理的に便利になって肉体的苦痛は減って

とにかく沢山の恩恵を受けたけど


でも、やっぱり

人が誰かに一番伝えたい事は

自分自身の感情で

言葉を使う一番の理由は

誰かに自分の感情を共有して欲しい

(自分の気持ちを分かって欲しい)からなんだよね、きっと。


で、人が誰かに伝えて欲しい事ってのも多分同じで
自分以外の誰かの感情に触れる事によって
その感情を共有する事

(誰かの気持ちを分かってあげる事)を求めてる。

だから人は人を求めるワケで。


伝える側と伝えられる側にギャップがあるとするなら
伝えられる側はマイナスの感情を
必ずしも求めてないって事くらい。

だから、きっとブログなんかも
もっともっと感情的な方が本当は良い筈で
『嬉しい!楽しい!大好き!』(←ドリカム?)って
書くのが伝える側にとっても伝えられる側にとっても

一番良いんだよね。

大体さ、これだけ情報過多の現代において
個人のブログに情報を求めてる人なんて

多分ほとんどいないよね。
実際、どんなに頑張った所で

一個人が出せる情報量なんてたかがしれてるし。

だから、ブログで一番伝えるべき事は

『幸せな感情』なんだよね、多分。
(情報はそれを上手く補ってやれば良い)


そんな事をフと思いました。

え~っと、予告どおり分析していこうと思ってたんだけど

その前にちょっと書いておきたい事があるんで、

それから書きますね。



それは「このブログに対する僕の考え方」の補足なんだけど、


一つ前の記事でも書いた様に、今の僕にとって

ここは「分析する事自体を楽しむブログ」にするつもりなので、


取り扱うテーマは本当にくだらないモノも含むつもりだし

その分析の価値自体に重きを置かないつもりなんだよね。

(つまり、記事の内容が間違っていても責任取るつもりはない(笑))



一応ね、以前、毎日の様に記事を更新していた頃は

ある程度のアクセスが毎日あったし

自分なりに読み手の事を意識した上で記事も書いてたけど、


せっかく匿名でネット上でブログやるのなら

良い意味で無責任に自分の考えを発表するのも

アリかなって思うようになってきたんだよね。


だから、これからは確信を持てない内容であっても

その時々に自分が正しいと感じた事を

ガンガン記事にしていこうと思ってるワケ。



と言っても、別に誰かの誹謗中傷をしようってワケじゃないし、

特定の考え方を否定して誰かを不快にさせたいワケでもない。



ただ単純に「分析する事」を楽しみたい。


自分なりに情報を整理して正しい(と自分が感じる)一つの答えに

辿り着く事自体を楽しみたい。



あえて、このブログに来た人に対して格好付けてみると


正しい答えが欲しいのなら他を当たってくれ。


僕は自分にとって正しい答えを探す事

自体を楽しむ為にブログをしているし、


このブログは僕と同じ様に「自分なりの答え」を

探す事を楽しみたい人だけ読みに来て欲しい。


って感じ(笑)

最近、ブログの方向性が定まらなくて

なかなか記事が書けないので

『Yahoo知恵袋』で遊んでみました。



以下は僕が『Yahoo知恵袋』でした質問です。


<人間の価値>

『人一人の命は地球より重い』
なんて言葉があります
『人間の命に価値がある』と思ってるのは
あくまで人間だけで
人間以外の生き物から見れば
人間の命も野良犬の命もバッタの命も
同程度の価値しかないと思いますが・・・


そこで質問です。
以下の存在の中で
アナタが『人間と同等の価値がある』と思うモノを挙げてください

①脳以外の全ての部分が機械化した存在。

・・・『脳だけ人間で身体は機械』

②脳以外は全て生身の人間に
脳と同程度の情報処理が可能な
人工脳を埋め込み、
その上でそれまでの記憶を完全にコピーした存在。
(この人工脳は
その事実を聞かなけれ
周りの人が気付かないほど完璧なモノとします)

・・・『脳だけ機械で身体は人間』

③その全てが人工的に作られているが
人工脳には、ある人物
生前の記憶をコピーしたモノが入っている存在。

・・・『脳も体も機械だが記憶だけは人間』



そして、もう一つ別の質問も。

人間にとって人間に特別な価値がある事に
疑いの余地はありませんが

その『人間の価値』は
人間のどの部分にあると思いますか?




この質問は今現在もYahoo知恵袋にあり

YahooIDを持ってる人なら金曜日(7/17)まで

この質問に答える事が可能です。

(僕以外の人が書き込んだ回答も当然読めます)


Yahoo知恵袋>

教養と学問、サイエンス>芸術、文学、哲学>哲学、倫理


というカテゴリーの中にあります。


また、『Yahoo知恵袋』内の検索機能で

『人間の価値』で検索すれば、すぐ見つかります。


リンク

前回、

『結局、人が生きてく上で

優越感は絶対必要なのかな』って事を

記事にしたじゃないですか?


アレって別に

『人は生まれながらに罪を犯してる』とか

『人間は地球上で一番愚かな生き物だ』的な

方向性にもっていきたかったワケじゃないですよ、


言うまでも無いですが。




でね、その話

もうちょっと引っ張ってみようと思います。





『優越感』という言葉がしっくりこない人には

『自信』という言葉に置き換えても良いんだけど、

人が自信を持つには

成功体験が必要ですよね?


そして、その難度が高ければ高いほど

そこで得られる自信は大きくなる。




『合格率5%の試験に合格した』



凄い自信になりますよね。


でも、冷静に考えれば

95%の不合格者の存在があってこその自信です。


つまり、自分以外の人が沢山失敗してるから

自分の成功の価値が高まり

その自信も大きくなるワケです。





『アナタの事が好きです』



これも自信になりますよね。


これもやっぱり似たような仕組みをしてると

僕は思ってて。



そもそも、『好き』『嫌い』の感情は相対的なモノです。


Aに比べてBが好きだったとしても

Bより更に好きなCが現れれば

一番好きな人(モノ)はCになるワケです。


つまり、『人』にしても『モノ』にしても

0点であったり100点であったりする事は無く

嫌な言い方をすれば

Cより好きな人(モノ)がいないから

『Cが一番好き』とも言えるワケで、



『アナタの事が好きです』


と言われて嬉しい事も

『自分以外の人の評価が(その人にとって)低い事』

やはり、無関係とはいえないワケです。




ですから、『優越感』(もしくは『自信』)を

持って生きていこうと思えば

間違いなく

『(部分的にしても)自分より劣った存在』が

必要と言っても問題ないはずです。




前回書いた記事を

より分かりやすく説明しましたが

僕が今回書きたいのは

この後です。



で、仮に本当に人が生きる上で

『優越感』なり『自信』なりが

絶対に必要だった場合、

どんなスタンスで生きるのが正しいのか。




例えばアナタがDさんと比べて

ある部分において優れていたとしたら

喜んで良いはずです。

喜ぶべきだと思います。


でも、劣っているDさんに対する

配慮を忘れてはいけませんが。



こういう繊細な部分に対する考え方って

人によって大きく違うし

簡単に『コレが正解』的な事は言えないのは

分かってますが、


だからこそ、キチンと整理していく事によって

世の中がより過ごしやすくなる

と僕は考えてるんですよ。




だってね、人生の良し悪しを決めるのは

『肌触り』的な微妙で繊細な部分ですよ、絶対。


どんなにお金があったって

どんなに社会的地位があったって

自殺しちゃう人は自殺しちゃいますからね。




だから、今、人間が一番真剣に取り組むべき問題は

こういう部分だと僕は本気で思ってるんですよ。



実際、今の世の中に欠けてるモノって

『利便性』や『物理的な豊かさ』じゃないですよね?




だから、皆で『より良い世の中について』

『ヒトという名の動物について』考えてみようって

僕は思ってるんです。



もともと、

そういう考えでこのブログはスタートさせましたし。

(かなり脱線してましたが(笑))



大体ね、ブログってモノが

こういう事をするのに

メチャメチャ向いてるはずなんですよ。


一般人も有名人も

一ブロガーとして同じ目線で

一つの事柄について考えられるし

互いに影響を与えやすいし。



ま、現時点では

僕のブログはほとんど人が来てないから

ここ発信で『ヒトという名の動物について考えよう』

と言うムーブメント(←?(笑))は

簡単には起こせないですけどね。




でね、話を元に戻すと

『結局、ヒトが生きてく上で

絶対優越感は必要なのか』的な構造を

どうやって消化すればいいか

なんですけど、


とりあえず、

『生きる為に人が豚や鳥や牛を食べてる事』と似た様な

解釈をすれば良いのかなって。




『弱肉強食』って分かり易い言葉があるけど、

『生きる』って事は

どんなにキレイゴトを並べたとしても

『弱い物から何かを奪う』

って要素は取り除けないですよね?


あえて嫌な表現をすれば

『今、自分が生きてるって事は

自分以外の動物達が代わりに死んでいる』

とも言えるかもしれない。



でね、大切なのは

その『自分が生きる上で犠牲になってる動物達』

に対する敬意を忘れない事だと思うワケです。


思慮の浅いエセヒューマニストの様に

牛や豚や鳥を食べるのをやめて

ベジタリアンになった所で

何にも問題は解決しないんだし。




でね、

(ある部分における)自分の能力が高いとしたら

自分の能力の高さなんて

自分よりも劣った人間がたまたま沢山いるから

成立するだけと理解した上で


且つ、能力が低い人に対する配慮を忘れずに

『自分は能力が高い』と思って良い

と僕は思うワケです。


謙遜したりせずにね。




何年か前にSMAPの曲で

『No.1を目指すの間違いだ』的なニュアンス

の曲がありましたよね?


僕はあの曲、好きじゃなくて。


だってね、

やっぱりNo.1になれれば嬉しいし、

『自分は優れてる』って思わなきゃ

とても生きていけないし。


なんかね、あの曲は

『誰かと自分を比べる事は卑しい』って言ってる様で

イヤなんですよね。



『いやいや、

喜んでいいよ!

自分が優れてる所は誰かと

どんどん比べるべきだよ!


そして喜ぶべきだよ!


でも、

劣ってる人に対する配慮は

忘れちゃ駄目だけどね!』


って僕は思うワケです。




ん~・・・、散々長い記事を書いておきながら

何が言いたいのかイマイチだけど

ま、こういう感じの

あいまいで他者に投げかけるような記事も

これからは書いていこうと思います。


だって僕は誰かに対して

『ヒトという名の動物について』

教えたいのではなく


誰かと『ヒトという名の動物について』

一緒に考えていけたら、と思ってるので。