前回、

『結局、人が生きてく上で

優越感は絶対必要なのかな』って事を

記事にしたじゃないですか?


アレって別に

『人は生まれながらに罪を犯してる』とか

『人間は地球上で一番愚かな生き物だ』的な

方向性にもっていきたかったワケじゃないですよ、


言うまでも無いですが。




でね、その話

もうちょっと引っ張ってみようと思います。





『優越感』という言葉がしっくりこない人には

『自信』という言葉に置き換えても良いんだけど、

人が自信を持つには

成功体験が必要ですよね?


そして、その難度が高ければ高いほど

そこで得られる自信は大きくなる。




『合格率5%の試験に合格した』



凄い自信になりますよね。


でも、冷静に考えれば

95%の不合格者の存在があってこその自信です。


つまり、自分以外の人が沢山失敗してるから

自分の成功の価値が高まり

その自信も大きくなるワケです。





『アナタの事が好きです』



これも自信になりますよね。


これもやっぱり似たような仕組みをしてると

僕は思ってて。



そもそも、『好き』『嫌い』の感情は相対的なモノです。


Aに比べてBが好きだったとしても

Bより更に好きなCが現れれば

一番好きな人(モノ)はCになるワケです。


つまり、『人』にしても『モノ』にしても

0点であったり100点であったりする事は無く

嫌な言い方をすれば

Cより好きな人(モノ)がいないから

『Cが一番好き』とも言えるワケで、



『アナタの事が好きです』


と言われて嬉しい事も

『自分以外の人の評価が(その人にとって)低い事』

やはり、無関係とはいえないワケです。




ですから、『優越感』(もしくは『自信』)を

持って生きていこうと思えば

間違いなく

『(部分的にしても)自分より劣った存在』が

必要と言っても問題ないはずです。




前回書いた記事を

より分かりやすく説明しましたが

僕が今回書きたいのは

この後です。



で、仮に本当に人が生きる上で

『優越感』なり『自信』なりが

絶対に必要だった場合、

どんなスタンスで生きるのが正しいのか。




例えばアナタがDさんと比べて

ある部分において優れていたとしたら

喜んで良いはずです。

喜ぶべきだと思います。


でも、劣っているDさんに対する

配慮を忘れてはいけませんが。



こういう繊細な部分に対する考え方って

人によって大きく違うし

簡単に『コレが正解』的な事は言えないのは

分かってますが、


だからこそ、キチンと整理していく事によって

世の中がより過ごしやすくなる

と僕は考えてるんですよ。




だってね、人生の良し悪しを決めるのは

『肌触り』的な微妙で繊細な部分ですよ、絶対。


どんなにお金があったって

どんなに社会的地位があったって

自殺しちゃう人は自殺しちゃいますからね。




だから、今、人間が一番真剣に取り組むべき問題は

こういう部分だと僕は本気で思ってるんですよ。



実際、今の世の中に欠けてるモノって

『利便性』や『物理的な豊かさ』じゃないですよね?




だから、皆で『より良い世の中について』

『ヒトという名の動物について』考えてみようって

僕は思ってるんです。



もともと、

そういう考えでこのブログはスタートさせましたし。

(かなり脱線してましたが(笑))



大体ね、ブログってモノが

こういう事をするのに

メチャメチャ向いてるはずなんですよ。


一般人も有名人も

一ブロガーとして同じ目線で

一つの事柄について考えられるし

互いに影響を与えやすいし。



ま、現時点では

僕のブログはほとんど人が来てないから

ここ発信で『ヒトという名の動物について考えよう』

と言うムーブメント(←?(笑))は

簡単には起こせないですけどね。




でね、話を元に戻すと

『結局、ヒトが生きてく上で

絶対優越感は必要なのか』的な構造を

どうやって消化すればいいか

なんですけど、


とりあえず、

『生きる為に人が豚や鳥や牛を食べてる事』と似た様な

解釈をすれば良いのかなって。




『弱肉強食』って分かり易い言葉があるけど、

『生きる』って事は

どんなにキレイゴトを並べたとしても

『弱い物から何かを奪う』

って要素は取り除けないですよね?


あえて嫌な表現をすれば

『今、自分が生きてるって事は

自分以外の動物達が代わりに死んでいる』

とも言えるかもしれない。



でね、大切なのは

その『自分が生きる上で犠牲になってる動物達』

に対する敬意を忘れない事だと思うワケです。


思慮の浅いエセヒューマニストの様に

牛や豚や鳥を食べるのをやめて

ベジタリアンになった所で

何にも問題は解決しないんだし。




でね、

(ある部分における)自分の能力が高いとしたら

自分の能力の高さなんて

自分よりも劣った人間がたまたま沢山いるから

成立するだけと理解した上で


且つ、能力が低い人に対する配慮を忘れずに

『自分は能力が高い』と思って良い

と僕は思うワケです。


謙遜したりせずにね。




何年か前にSMAPの曲で

『No.1を目指すの間違いだ』的なニュアンス

の曲がありましたよね?


僕はあの曲、好きじゃなくて。


だってね、

やっぱりNo.1になれれば嬉しいし、

『自分は優れてる』って思わなきゃ

とても生きていけないし。


なんかね、あの曲は

『誰かと自分を比べる事は卑しい』って言ってる様で

イヤなんですよね。



『いやいや、

喜んでいいよ!

自分が優れてる所は誰かと

どんどん比べるべきだよ!


そして喜ぶべきだよ!


でも、

劣ってる人に対する配慮は

忘れちゃ駄目だけどね!』


って僕は思うワケです。




ん~・・・、散々長い記事を書いておきながら

何が言いたいのかイマイチだけど

ま、こういう感じの

あいまいで他者に投げかけるような記事も

これからは書いていこうと思います。


だって僕は誰かに対して

『ヒトという名の動物について』

教えたいのではなく


誰かと『ヒトという名の動物について』

一緒に考えていけたら、と思ってるので。