「サム・ウォルトン」

世界最大の小売業で知られる「ウォルマート」の創業者。

1945年に軍隊を除隊後、雑貨屋を購入しチェーン展開を開始。

1950年に廃業したものの、1954年には彼の弟バドとともに、

ウォルマートの原型ともいえるディスカウントストアの「ウォルトンの店」を開業。

1962年には、さらに「ウォルマート」と「Kマート」を創業。


当時の小売業界の主要出店方式の逆をいく、

大型店を中心とした田舎での出店や、現在では小売業の潮流ともいえる、

ドミナント方式をいち早く導入するなど流通革命を先導。

物流、情報を最大限生かした効率的な経営で、

シアーズやKマートを抜く全米最大の小売業へ導いた。

(出典:ウィキペディア)




自分自身を信じることによって、

人は事を成し得る。

これは驚くべきことである。



私がやったことの大半は、

他人の模倣である。



他社から学ぶことこそ、

成功への近道。



私には、

「失敗」という概念などないのだよ。



他の誰よりも自分のビジネスを信じ、

仕事を愛し、最善をつくそう。

そうした情熱は熱病のように周囲の全員に移っていくだろう。



どこにでもいるような人が集まって、

だれにもできないようなことを成し遂げたのだ。



給料やストックオプションも大切だが、

心のこもった言葉は何物にも代えることが出来ない、

大金に値する。



ウォルマートが全米最大のリテーラーになる前の25年間、

売上高に対する経費率は、

常に業界第1位にランクされていた。

これが競争に対する強みである。



真剣に働いているからといって、

いつもしかめっ面をしたり、難しい顔をしている必要はないのだ。

どんな仕事をする場合でも、

私たちは楽しくやりたいと考えている。


それは、「口笛を吹きながら働く」式の哲学であるが、

この精神でやれば仕事が楽しいだけでなく、よりよい仕事ができる。



人とは違う道を行き、旧来の考え方を無視すること。

もしすべての人が同じ方向に進んでいるなら、

まったく逆の方向へ行き、自分独自の市場を見つけるチャンスだ。


誰もが、それは間違っているというだろうが、

そんなことは気にしてはいけない。



小売業の成功の秘訣は、

「お客が望むものを提供する」ことである。


実際、もしお客の立場になったら、誰もが最善のものを望むだろう。

質のよい商品、豊富な品揃え、可能な限りの低価格、

満足の保証、感じがよく知識の豊富な店員の応対、

お客の都合に合わせた営業時間、無料駐車場、

そして、楽しいショッピング体験等々。

「サム・ウォルトン」

世界最大の小売業で知られる「ウォルマート」の創業者。

1945年に軍隊を除隊後、雑貨屋を購入しチェーン展開を開始。

1950年に廃業したものの、1954年には彼の弟バドとともに、

ウォルマートの原型ともいえるディスカウントストアの「ウォルトンの店」を開業。

1962年には、さらに「ウォルマート」と「Kマート」を創業。


当時の小売業界の主要出店方式の逆をいく、

大型店を中心とした田舎での出店や、現在では小売業の潮流ともいえる、

ドミナント方式をいち早く導入するなど流通革命を先導。

物流、情報を最大限生かした効率的な経営で、

シアーズやKマートを抜く全米最大の小売業へ導いた。

(出典:ウィキペディア)





自分自身を信じることによって、

人は事を成し得る。

これは驚くべきことである。



私がやったことの大半は、

他人の模倣である。



他社から学ぶことこそ、

成功への近道。



私には、

「失敗」という概念などないのだよ。



他の誰よりも自分のビジネスを信じ、

仕事を愛し、最善をつくそう。

そうした情熱は熱病のように周囲の全員に移っていくだろう。



どこにでもいるような人が集まって、

だれにもできないようなことを成し遂げたのだ。



給料やストックオプションも大切だが、

心のこもった言葉は何物にも代えることが出来ない、

大金に値する。



ウォルマートが全米最大のリテーラーになる前の25年間、

売上高に対する経費率は、

常に業界第1位にランクされていた。

これが競争に対する強みである。



真剣に働いているからといって、

いつもしかめっ面をしたり、難しい顔をしている必要はないのだ。

どんな仕事をする場合でも、

私たちは楽しくやりたいと考えている。


それは、「口笛を吹きながら働く」式の哲学であるが、

この精神でやれば仕事が楽しいだけでなく、よりよい仕事ができる。



人とは違う道を行き、旧来の考え方を無視すること。

もしすべての人が同じ方向に進んでいるなら、

まったく逆の方向へ行き、自分独自の市場を見つけるチャンスだ。


誰もが、それは間違っているというだろうが、

そんなことは気にしてはいけない。



小売業の成功の秘訣は、

「お客が望むものを提供する」ことである。


実際、もしお客の立場になったら、誰もが最善のものを望むだろう。

質のよい商品、豊富な品揃え、可能な限りの低価格、

満足の保証、感じがよく知識の豊富な店員の応対、

お客の都合に合わせた営業時間、無料駐車場、

そして、楽しいショッピング体験等々。



成功を喜び、失敗の中にユーモアを見出しなさい。

あまり真剣に考えてはいけない。リラックスしなさい。

そうすればまわりの人すべてがリラックスするだろう。


楽しみなさい。いつも熱意を示しなさい。

うまくいかないときには衣装を着てバカげた歌を歌いなさい。



どこにでもいる普通の人々に、

機会と激励を与え、やる気をひき起こすことができれば、

可能なことに限界はない。




成功を喜び、失敗の中にユーモアを見出しなさい。

あまり真剣に考えてはいけない。リラックスしなさい。

そうすればまわりの人すべてがリラックスするだろう。


楽しみなさい。いつも熱意を示しなさい。

うまくいかないときには衣装を着てバカげた歌を歌いなさい。



どこにでもいる普通の人々に、

機会と激励を与え、やる気をひき起こすことができれば、

可能なことに限界はない。

お店を 長いこと 営業していると


時々 芸能人と 呼ばれる方が


お客様として 来ていただけることが


あります。


お店の 女の子の 反応 は


千差万別 おもしろいです。


数年前に デザートマジック に


吉本 の 芸人さんが  (今でも売れてます) 


3人 アスティ での イベントの 間 に



クレープ を 食べに


寄って くれたことが


ありました。


そのとき 対応した スタッフの 女の子は


握手を してもらって かなり てんぱってました。 


(このときはイベント会場で クレープを 買っていただいたことを ネタの中で

お話ししていただいたみたいでその会場にいた 複数の知り合いと方から 興奮気味の電話が

あったそうです)


いちごっぺ や シャンテ でも


芸能人の 方が たまに


普通に クレープを 買いに 来ていただいてますが


普通の お客様として 接客 する よう


指示してます。


でも 商品を お出しした 後


ものすごく 興奮 してしまってる子


冷静に 分析する子


クールに 対応 する子


その 芸能人の 方 を 全く 知らない子


非日常の こと が


あったとき スタッフの 反応 は


性格がでます。





追伸



高松の お友達の クレープ店では


ビジュアル系の コンサート 会場 で


その店の クレープが おいしいと


いったもんで


コンサートが 終わった後


ビジュアル系の ファンで


お店が いっぱいに なって


異様?な感じに なったって


話してました。


おわり




2001年 なかむらやいちごくらぶの 契約が


満了に なる 年を 迎えました。


もう 契約更新は


しないと決めていました。


実は なかむらやいちごくらぶ は


共同経営という かたちで


家賃のほかに 共同オーナーに


売り上げの 何パーセント かが


わたる仕組みになっていたため


売り上げの 割に


手元に 残る お金が


異常に すくなかったんです。




そのために 1999年 に


沖浜の文理大学の


正面玄関前に


出店したんですけど


私の中で 路面店で 利益を 出す


ビジネスモデルが できていなかったのと


想定売り上げに とどかなかって


家内への 負担も大きく


さらに 赤字を 出して


ますます 悪循環に むっ むっ



さらに さらに


 タクト から そう遠くない 場所に


大型ショッピングセンターが その年の


秋に開店予定


こんな状況だったんで


両方とも 閉店して


青春時代を 過ごし


家内の 実家でもある 神戸 か 明石 で


小さな店から 再起 を


計るべく 


物件探し を 春頃から


始めていました。


そんな中 突然 7月?に


取引先の 営業 の


K谷さんが


私の 人生を 変えてしまった


お話を 持ってきたんです。


つづく













1989年12月にデザートスタジオ いちご が オープンしてからは

 

1991年 苺屋を 蔵本 駅前に オープン


1994年 デザートスタジオ いちご 春 閉店


1994年 苺屋 秋 閉店


1994年 冬 タクトに なかむらやいちごくらぶ 開店


1999年 沖浜 文理大学前に いちごくらぶ 開店


いろいろなことが ありながら 


まさか  ターニングポイント に なる とは


思ってもみなかった


2001年 の 夏を 迎えることに


なったんです。



2001年までの 壮絶な


エピソードは 


また 追々 語っていきます。


つづく

白いオムライスだよ 黄身もちろん、入ってます。
玄米飼料で育てた鶏の卵を使ってます。
photo:01
photo:02
photo:03
年も押し迫った

1989年12月21日午前10時

記念すべき一号店が

羽ノ浦のスーパーでパルに

オープンしました。

あさから閉店時間の7時まで

お店に入って

お昼くらいから夕方まで

家内が入ってもらって

夕方はアルバイトと

2人で片付けるシフトで

スタートしました。

アルバイトは前に働いていたお店の時の

学生さんと

あたらしく募集してきてもらった

学生さんの2人

なんの迷いもなく

オープンできました。

つづく










学生アルバイトさん
一号店のオープン前の

収益予測は

売り上げ一ヶ月

140万円

内訳平日40000円×20日

土日60000円×10日

粗利率 65パーセント

粗利額91万円

家賃10万円

電気光熱費5万円

借り入れ返済8万円

雑費5万円

手もとに残る利益は

なんと 63万円

素晴らしい ビジネスモデルです。

このまま行けばの話ですけど、

つづく

食材を入れていただける

業者さんとの

交渉に入ります。

ニチイフーズ時代の

取引先何社かとコンタクトを

とって食材選定

仕入れ価格の交渉

ええ、

そんなに高いの

当たり前です 100店舗以上ある

チェーン店と

今日からはじめるお店と

同じ値段で仕入れができるはずがありません

わかっていながら

改めてここでも現実を思い知らされました。

大判焼きの食材は もちろん

前オーナーさんから

仕入れが決定

ただ 大判焼きの

粗利の低さが

後で じわり ときいてきました

つづく

かたちから入るタイプなんで

お店の名前を

まず決めるところから

姫路に住んでいた頃

近所に子供達がよく行く

文房具や雑貨 などを

売っている

いちご屋という

お店があったのを

思い出して

自分の店も

子供たちに愛される店に

なれればイイなと思い

デザートスタジオ

いちご

という名前に

決定しました。

次に 販売商品の

コンセプト

これは すんなり決まりました

っと いうか

これしか選びようがなかったんです

もともとその場所で

販売していた

大判焼き アイスクリーム ソフトクリーム

それに 勤めていたお店で

販売していた

クレープを

加えた 商品ラインナップに

なりました。

大判焼きがメインで

アイスクリームが大きなスペースを

とっており

この時点では 将来

クレープ専門店 に

なるとは考えてもいませでした。

つづく
場所も決まり

資金のめども

つきました。

次は お店の工事業者を

さがす番

全く見当がつきませんでした

またまた

前オーナーさんに相談

知り合いの建築屋さん

紹介してもらいました。

その建築屋さんから

飲食店のデザイナーの先生を

紹介してもらいました。

〔今思えば、ぜいたくな選択でした〕

並行してお店のコンセプトと

商品を決める作業

今までの経験から

簡単に決めてしまいました。

〔これが間違いでした。〕

つづく