こんばんは

 

まさよのコラムにようこそ

 

 

 

 

 

上の子がお世話になった小学校の

 

ときの担任の先生が、ご高齢なことも

 

ありご病気で入院されたと息子に連絡が

 

ありました。

 

人との出会いって、不思議だなぁと思う

 

のですが。

 

T先生との出会いは、子どもにとっても

 

わたしにとっても生涯大きなものでした。

 

今でこそいろいろな発達障害の名称が

 

ありますし、みんなと違うとどこかの枠に

 

はめられてしまいます。

 

それはそれで、納得できるのでね

 

決して悪いことでもなくて、そこからどの

 

ように育てていけば良いのか?

 

というその子にあった方向性を早めに

 

見つけることができます。

 

 

 

当時上の子が小学生の頃は、手のかかる

 

子、世話のやける子、協調性のない子と

 

いう厄介な扱いになりました。

 

上の子は発語が遅かったのですが

 

一歳半検診、三歳児検診、就学前検診

 

があっても、特に何かを言われることも

 

ひっかかることも一度もなかったのです。

 

だけど、わたしの目には明らかに他の子

 

と違うように映ったのです。

 

児童相談所、児童精神科やIQテストなど

 

いろいろと受けたり検査をしました。

 

判定を下すには、当時は難しかった

 

のだと思います。

 

いま大人になって判定が着きました。

 

 

そんななか当時、熊本でお世話になった

 

女性の先生は、ひょうひょうとされていて

 

息子のよい部分をみて下さったのです。

 

息子だけではなくて、わたしの母親と

 

しての良い部分も見て下さったことは

 

当時のわたしと息子を支えて下さい

 

ました。

 

当時のわたしからみたら、先生はすでに

 

おばあちゃんのように思いましたが、今の

 

わたしよりもお若かったのです。

 

いつも思い出します。

 

「お母さんね、人なんですから。人として

 

生きていく上で、なんが大事かって

 

勉強ができるとか、そげんことでは

 

なくて、人として心が育っとるかどうか

 

ですたい。そこが一番大事なこと」

 

「なんが出来んでも学校の成績が

 

悪かばってん。そがんことはよかと。

 

〇○君の心ば育ててやってください」

 

って言うのです。

 

今でも忘れられません。

 

 

息子は中学卒業してからと、そして

 

10年前に一人で先生に会いに行って

 

いますが。

 

わたしは二十数年お会いしていなくてね。

 

お見舞いにいって、再びお礼が言いたい

 

と思っています。

 

「人とは何か」を教えて下さった大切な

 

存在でした。

 

 

 

でね、思い出した事がありました。

 

わたしは子どもに、特に上の子には

 

ついつい厳しく育ててしまったのでね。

 

すこし後悔をしているのですが。

 

お小遣いをあげなかったのです。

 

だから息子は、高校生のときから

 

バイトをしてお金を貯めて、自分の

 

欲しい物を買っていました。

 

自動車学校だけは、行かせましたが。

 

中型の免許や、中古のバイクは学生の

 

ときにバイトをして買い、大型バイクの

 

免許は働いてから、自分で取りました。

 

我が家は、お金の有難みをわからない

 

子どものうちは、お金を渡さないという

 

方針でした。

 

反対に、子どもの頃からきちんとお金を

 

渡して子どもにお金の管理をさせた方が

 

いいという考えもあります。

 

どちらでもいいと思うのですがキョロキョロ

 

どこに重きを置くか?だと思うから。

 

 

だけどわたしが思っていたことは

 

親や祖父母、人からもらったお金と、

 

自分で働いたお金では使うとき、大きく

 

違うと思っています。

 

同じように感謝をしても、お金の重さが

 

違うと思っています。

 

そのお金は、どういう心で思いで得た

 

お金なのか?

 

自分で働いたお金には、それが乗せら

 

れていると思っています。

 

ですから、わたしは子どもにお小遣いを

 

渡しませんでした。

 

あま甘で育てた娘でさえ、アルバイト

 

をしてお小遣いを稼いでいました。

 

ちなみに娘も自動車学校には行かせて

 

あげたのですが、一度も運転をしたことが

 

ないのですキョロキョロ

 

教習所の代金、返して欲しいですチーン