こんばんは

 

まさよのコラムにようこそ

 

 

 

 

昨日の夜のことです。

 

急に肺と背中が痛くなって、息を

 

吸うと肺なのか胸なのか背中

 

なのかが痛くて、上手く息が吸え

 

ずに、うずくまってしまいました。

 

狭心症なのか、心筋梗塞なのか

 

ただの胸と肺と背中の痛みなのか

 

わかりませんが。

 

昔、背中から急に落ちたことが

 

人生の中で、二度ほどありました。

 

背中を強打すると息が入らない

 

ということを経験したことがあった

 

のです。

 

そんな感じで 突然息がはいら

 

なかったのでね。

 

救急車を呼ぼうかと携帯を

 

探そうと思ったのですが。

 

ふと、わたしが死んで、何か

 

誰かが困るだろうかと考えたら

 

もう子どもも大きくて、子どもの

 

心配はあれど、それは親ならば

 

キリがないことなのでね。

 

自分の親の生活の面倒をみて

 

はいるけれど。

 

わたしがいなくても、みんなどう

 

にか自分で出来るだろうと思い

 

ました。

 

そう思ったら、とても冷静になり

 

ました。

 

きっと残された家族は、びっくり

 

したり悲しんだりするだろうから

 

それだけは、どうにか軽減した

 

くて。

 

近くにあったコピー用紙に

 

「ありがとう しあわせだった。

 

悲しまないで どうか」 と走り

 

書きをしました。

 

そうして20分くらい経ったので

 

しょうか。

 

はっきり時間を覚えていないの

 

ですが。

 

次第に、息をしても肺が痛くなく

 

なってきて、背中や胸の痛みも

 

消えました。

 

わたしは自分の寿命はかみさま

 

に委ねていると思っています。

 

かみさまが 「もう還りなさい」と

 

おっしゃるのならば、還るのみ

 

だと思っています。

 

日曜日にヒーリングをしたとき

 

いろいろな存在さんたちや

 

仏さまたちがお見えになった

 

のでね。

 

あれはヒーリングのお手伝い

 

ではなくて、わたしのお迎え

 

さんたちだったのかもしれない

 

と思いました。

 

 

しかし、こうして結局は 

 

おかげさまで、今日も元気でいる

 

のですが。

 

昨夜のことで気付いたことが

 

ありました。

 

わたしは還る覚悟が本当に出来

 

ているのだと改めて思いました。

 

これが11年前ならば自分が 

 

大病をしたときならば、まだ

 

下の子が高校生で、覚悟をする

 

までに、時間がかかりました。

 

だけどそのとき、わかったことは

 

悲しいのは、自分が還ることでは

 

なくて、残していく者を悲しませ

 

ることが、悲しくて怖いのだとその

 

ときに理解しました。

 

あ、誤解しないでくださいね。

 

決して悟っている訳ではなくておいで

 

年を重ねるということは、この世

 

にしがみ付こうとする執着が減る

 

のだと、身をもって知った出来事

 

でした。

 

苦しいなかで、

 

「もういいじゃない。もういいね」

 

と思ったのですけれどね

 

今日はきれいな空を眺められて

 

移ろいゆく空を眺められて

 

こうして生きていられて良かった

 

と思いました

 

いつ終わりがきたとしてもいい

 

覚悟で生きる事って、大切なこと

 

かもしれません。

 

そうして、子ども達には伝えて

 

おかなければいけないなぁと

 

思いました。

 

いつどんな形で別れたとしても

 

「悲しまないで 苦しまないで」

 

「未来を、しあわせになること

 

を考えて」と。

 

たくさんの方を霊視させていた

 

だいて、先に逝った人たちが

 

教えてくれた言葉は、みんな

 

同じなのかもしれないなぁと

 

思いましたキョロキョロ