こんばんは

 

まさよのコラムにようこそ

 

 

 

 

先日 熊本の健軍神社さんにいった

 

とき、境内で100円を拾いました。

 

小銭を拾うと、わたしは「神様のお金」

 

として、

 

「落とした人に福が届きますように」と、

 

神社のお賽銭にすることで、

 

「神様のお金」 と呼んでいますが、

 

神社の境内で拾った小銭はまさに

 

神様のお金なのでね。

 

娘に 「100円拾ったよ」 と手のひらに

 

100円玉を乗せて、娘に伝えました。

 

娘がどういう反応をするかなぁと

 

思ったら。

 

「あーそれは福拾いだね、代わりに

 

お賽銭に入れてあげなくちゃ」

 

というので、何故かほっと致しました。

 

これが、「やった儲けた」 と言ったら

 

わたしは、どんな育て方をしたのだろう

 

かと思ってしまうところでしたキョロキョロ

 

 

 

以前息子が、「神社に行った時に

 

お賽銭に1万円を入れるといいらしい」

 

「ご利益があると前に先輩が言っていた

 

けど1万円は勇気がいるなぁ」と話して

 

いましたキョロキョロ

 

何をもって、お賽銭に1万円というのか

 

わかりませんけれどね。

 

ご利益を求めて1万円を入れるの

 

ならば。

 

神様はお金をお使いにならないから

 

「僅かでも神社さんの修繕費維持費

 

にされてください」と神社さんに直接

 

ご寄付をした方がいいと伝えました。

 

そして

 

お賽銭にいれる1万円を惜しいとか

 

勿体ないと思うなら、それはお賽銭

 

に入れてはいけない金額であり、

 

自分に見合った、心に見合った額

 

のお賽銭にするべきだと息子に

 

伝えました。

 

 

 

願いが叶うのは、金額の額では

 

なくて、その人の御心次第なのに

 

なぁと思いますキョロキョロ

 

息子と話していると、

 

はて?うーん この人は高校生

 

から成長していないのではないのか?

 

と思ってしまいます滝汗