こんばんは
まさよのコラムにようこそ
今日はじめてヒュースケンのお墓
参りに行きました。
と言っても、知らない人が多いかと
おもいます。
わたしも全然知りませんでした。
しかし歴史が好きな娘は、小学校
6年生頃だったかと思います。
日米修好通商条約を結んだハリスの
通訳をしていたヒュースケンが気に
なり、ヒュースケンを調べ始めたのです。
ハリスがアメリカ人で、オランダ語を
話せる人物をということで、ヒュースケン
が通訳となったそうでね。
当時の日本はオランダとの貿易を
行っていたので、蘭学でオランダ語を
話せる人はいても、英語を話せる人
がいなかったのです。
「英語 → オランダ語 → 日本語」
「日本語 → オランダ語 → 英語」
と通訳をする人が必要でした。
すごい時間がかかったでしょうし、
本当に意味まで伝わっていたのかは
疑問ではありますけれどね
ヒュースケンのオランダ語の通訳を
していたのは伝助さんという人だった
そうでね。
娘が幼い頃、なぜそういう人に
フォーカスするのかわかりません
でしたけれど。
中学 高校になり、下田を訪れたり
光林寺までヒュースケンのお墓参り
を何度かしていました。
ヒュースケンは、当時の攘夷派薩摩
藩士に暗殺をされています。
同じように通訳の伝助さんも暗殺された
そうでね。
今回、わたしははじめてヒュースケン
さんと伝助さんのお墓参りをさせて
いただきました。
日本風の墓石に、オランダ語と
十字架が彫られていて、そこだけが
異国でした。
日本を楽しんでいたヒュースケンさん。
夜道を出歩いたらいけないとの
忠告を守らなかったそうです。
ちなみに日本のお風呂は、もともとが
混浴だったそうで。
それを野蛮で破廉恥だと言ったのは
ハリスなのだそうです。
思い起こせば、娘は小さな祠の神様や
偉人たちのお墓参りを小学生の頃から
しています。
それもあるかもしれませんが、
本当に娘は、運が良いのです。
これは持って生まれたものでは
なくて。
天が采配して下さっているとしか
思えない事が多くて。
今年になり、娘は転職を致しました。
もともと福利厚生手厚くて、御家賃も
出してくれて、何よりも新幹線で
通勤されてくれる会社なんていまどき
ないと思うのです。
それをあっさり辞めてしまい。
辞めると決めた途端、2つの会社から
「我社に来てほしい」というお誘いを
受けました
お給料は2,3万下がるけれど、何より
自由な思想と発言が出来る事が
良いと本人は、とても喜んでいました。
そうしたら、なんと資格手当が高くて
結果、前の会社よりも3万近くお給料
が高くなったのだそうです
びっくり
娘の歴史の趣味は、主人と合って。
息子の野球と囲碁の趣味も主人
とあって。
わたしと娘の趣味が合うのは
お洋服くらいです
え~わたしは、なぁ~んもよく
わかりません。