まさよさん
はじめまして。Tと申します。
いつもブログを楽しく拝読しています
質問は、私ではなく母のことになります。
母は4人きょうだいの末っ子で、昭和20年
2月に生まれました。
母の父(私の祖父)は、
お腹にいた時に出征しフィリピンで戦死
したそうで
ですから、
父親に会ったことがありません。
母の実家に行くと、
祖父の写真が入っている額が仏壇の上に
飾ら
でしか見たことがありません。
数年前の夏に母が初めて話してくれたの
ですが、「
しれないんだけど…
背中を見送った記憶があるのよねぇ。
父親の背中を憶えているの」と。
私の父は、そんなばかなと笑いましたが、
思いました。
戦後女手一つで4人の子供を苦労して
育ててくれた祖母、
2人が光へ還りました。
もし、母の記憶が、母の父が母に遺してくれ
たものだとしたら。
としたら。
思いまして、
まさよさんの目に留まったら嬉しいです
よろしくお願いします。
これからも、ブログや書籍、
活動など応援しています!
戦地で亡くなったお父さん。
あなたにとってはおじいちゃんが、
お腹のお母さんにみせたというのでは
ないのです
その時を拝見(透視)させていただくとね
おじいちゃんが戦地に赴くとき
胎児のお母さんは、母親(おばあちゃん)
のお腹の中で結構大きかったのです。
子宮にゆとりがないのでね。
半年くらいか、もう少し大きいように
視えます。
胎児のお母さんが父親を見送る背中を
憶えているというのは。
母親である、おばあちゃんの目を通して
胎児のお母さんが視ていたのです。
その時の母親(おばあちゃん)の悲しい
感情までも手に取るように憶えています。
戦争でお亡くなりになった、お母さんの
父親(おじいちゃん)はお顔が長く
四角いはっきりとした目鼻立ちでした。
スラリとしていらっしゃたけれど、肩幅は
大きな人でした。
生れる前にお亡くなりになったのではなくて
お母さんがお生まれになってから、戦死を
されていらっしゃいます。
でもね、亡くなってすぐに妻(おばあちゃん)
と娘(お母さん)に会いに来ていました。
ニコニコして、娘(お母さん)の横に寝そべっ
て、娘(お母さん)をあやしておりました。
本当はこのとき、日本はかなり逼迫して
いましたので、そういう穏やかな状態では
なかったのですが、おとうさんの記憶は、
平和でしあわせな頃として、あなたのお母
さんの傍におりました。
おまけご回答
こんにちは、私は、宮城県塩釜市在住で、
Iと申します。
私の不思議に思っている事は、
いろいろワークに楽しく参加させていただ
いておりますが、いつも自分をイメージしよう
としても私の姿をイメージ出来ず、
ない方が私に代わってワークに参加して
くださるのです。
これは、「私が自分の顔を嫌いだからなの
かな〜?」
大した不思議では無いのかも知れませんが
お教え頂けますと嬉しい
まさよさん、スタッフの皆さん
いつもありがとうございます
感謝をこめて
どうぞご自愛下さいね
わたし、Iさんの事を知っています
前に仙台で、ひろみさんや孫弟子さん
とかを呼んでいろんなワークをしていた
のですが、そのときに会っていますよね?
お名前が素敵だったので、憶えており
ます。 もう5年くらい前かなぁ?
自分がイメージできないのは、自分の
顏が嫌いだからではなくて
自分の分身を派遣しているからです。
自分の分身だから、同じ姿とはね
限らないのです。
新刊でも自分の分身を派遣させる
ワークがあります。
すでに出来ているということだと
思います
~~お願い~~
不思議ご回答の募集は不定期で
突然の募集となりますm(_ _)m
応募されて、ご自分が回答されましたら
必ずどこかにご寄附をお願いいた
します。
不思議を応募するタイミングも、また
ご拝見できることも、ご縁なのかも
しれません。