おはよう

 


人気ブログランキング

女神フローラのエネルギーを入れました

 

春と 花と 豊穣の女神、みなさんに春の豊かさが

 

喜びが届きますように

 

 

 

 

先日、主人がキリスト教のお葬儀に参列してきました。

 

そして 「キリスト教では、お悔やみは言わないのだな」

 

と話していました。

 

わたしは神社の神様も 仏教でいう仏様も キリストも

 

好きではありますが、どこかに帰依している訳では

 

なくて、基本はどこでもよくてと言ったら無責任かも

 

しれませんが、神道の教えも 仏教の教えも

 

キリスト教の教えも、自分が好きな部分だけ、自分が

 

納得する部分だけを覚えていまして、そこに宗派の

 

括りは持ってはおりません。

 

きっと日本人は、そういう人が多いのではないかと

 

思います。

 

けれどお葬式に関しては、どの宗派が自分の心に

 

一番添っているかというと、わたしはキリスト教の

 

それも偶像崇拝していない、プロテスタントの

 

お葬式がわたしは一番しっくりします。

 

けれど、わたしを送りだしてくれる時は、それに従う

 

必要はなくて、お経でも お念仏でも、賛美歌でも

 

なくて、わたしの好きな童謡で送りだして欲しいと

 

思います。

 

幼子に還る、神に還ると思う事が、わたしは一番

 

わたしに合うお葬式だと思っております。

 

 

キリスト教では、死は永遠の始まりであり神の御許に

 

還ることであり、神に祝福される事でもあります。

 

仏教の供養は、初七日から始まる忌日と 

 

三十三回忌の年忌までと考える事が一般的ですが、

 

今の年忌は、家族が遠くにいたり、核家族が増えた

 

こともあり、もっと短く終える場合が、多いかも

 

知れませんね。

 

そのどちらが良いかどうかは、それぞれに個人が

 

決めることですが、仏教の忌日と年忌は もともとは

 

仏教ではなくて、儒教の考えが仏教の供養の仕方と

 

混同されて、今のわたしたち日本人流の供養の

 

仕方となりました。

 

父が亡くなったとき、「忌日や年忌をしないと仏様が

 

あの世で悲しむ」 という言い方を和尚さまから

 

言われたとき、わたしは受け入れ難いものが

 

ありましたが、母は古くからそのように思って

 

おりましたので、父の二十七回忌や、

 

祖母の三十三回忌を終えた事で

 

どこか肩の荷が降りたようでした。

 

母はそれが当たり前だと思っていますので、

 

何も言いませんが、きっと精神的には負担だった

 

のではないのだろうかと思います。

 

だから娘たちを思って「自分が死んだら、簡単でいい

 

年忌の法要もいらない」 と言います。

 

 

神様も 仏様も、参拝や供養が大事だと、そういう事を

 

説いているかというと、決してそうではなくてですね。

 

神様に参拝する気持ち、家族をご先祖さんを敬う

 

気持ちが大事だと、説いているはずなのです。

 

形ではなく、気持ちや思いが大切なのだと、それは

 

どこの神様も同じだと思うのです。

 

神様の教え、仏様の教えは、時に人を縛るものなの

 

かも知れませんが、神様も仏様も決して人を縛っては

 

いないのです。

 

いちばん人を縛り付けているのは、

 

わたしたち人なのです。

 

人が人を縛っているのです。

 

あれが正しい、これが正しい 

 

見える人が言うから、霊感がある人が言うから

 

だから正しいと、悲しいものですが

 

わたし達は、そう思ってしまいますね。

 

けれどね、本当は何が正しのだろうかと

 

宗教ではなくて、神様でも 仏様でもなくて

 

人を人が縛っていることに、わたし達は気付いて

 

きたのでしょうね。

 

少しづつ自分の縛りを解くことに、わたし達は自ずと

 

なってきたのだと思います。

 

だから死んだ後は、散骨を希望する人や、お墓に

 

拘らない人が、多くなったのかも知れないなぁと

 

思います。

 

 

この世には正しいものなんか一つもなくてね、

 

誰かの説く正しいこともなくてね、自分がどう思うか?

 

あなたが何をどう思っているかが、正しいこと

 

なのだと思います。

 

自分の信じている事と、違うことを誰かが説くと

 

それは違うと、反論も批判もしたくなるかも知れませんが

 

生きていたら、永遠に終わりのない論争であり

 

答えがでない争いであってね。

 

そこではなくて他ではなくて、自らがどのように

 

思うかなのでしょうね。

 

そこに気付けたら、宗教に絡んだ戦争も、

 

スピリチュアルでいう、何が正しいかなどもなくなって

 

自分が自分を、それで”良し”とするのだと思います。

 

自分が”良し”となると、周りが喧々諤々であっても

 

何を信じていようとも、自分の中は平和であり、

 

安らぎであり、ただ真実があるんです。

 

何ものにも振り回されない、凪がただあるのです。

 

真実は求めないことです。 

 

だってあなたの中にすでにあるのですから。

 

あなたの真実は、あなたがつくり上げるものだと

 

わたしはそんなふうに思います笑う

 

 

 

 

 

きれいな空の仙台です。

 

朝焼けがぴんく色できれいでね、今年は寒いのですね

170330_0548~01.jpg

もうじき4月なのに、ここ数日屋根に霜が降りています。

 

お日様が顔を出すとすぐに消えてしまうくらいに、薄い

 

霜ではありますので、名残の霜でしょうかね笑う

 

昨日お天気が良かったので、近所の熊野神社さんの

 

田舎道を通りました。

 

170329_1028~01.jpg

 

紅梅と白梅が並んで咲いていて、下を通るだけで

170329_1030~01.jpg

 

梅の香りのご褒美に、嬉しくなりました。

170329_1029~02.jpg

 

イヌフグリのお花も

170329_1030~03.jpg

 

水仙のお花も見れたことが、嬉しくてしあわせでした笑う

170329_1026~01.jpg

人は苦しみの中にいると、こんな事に気付ける事は

 

難しくてね、それくらい辛いものだから。

 

だから花や香りに気付ける事は、いまわたしは

 

幸せなのだと思えるから、だからしみじみその僅かな

 

時間を大切に感じたいと思いました。

 

忙しさの毎日ですが、わたしの幸せ時間です笑う

 

 

今日はこれから沖縄に向かいます。

 

今日は上の子のママ友のマブニさんと会う予定でしたが、

 

マブちゃんの都合が悪くなり、2日に変更になりました。

 

今日は夕方の空いてる時間で、少し溜まった仕事が

 

出来るように致します。

 

1日にご参加下さる皆さま、どうぞお気を付けていらして

 

下さいませ。

 

行ってらっしゃい 行ってきます。

 

あなたの今日もいい日

 

ありがとう、本当にありがとう笑う