おはよう


光一さんお奨めの、美内さんのアマテラスを斜め読みでは

ありますが、2巻まで読ませて頂きました。

2巻で終わりだと思っていたら、まだ続いているのですね。

アマテラスの正体は、卑弥呼であったという説、そもそも

卑弥呼も聖徳太子も実在していなかったという説、

さまざま言われている中で、美内さんの言わんとして

いるのは、全知全能をお伝えしたいのではないだろうかと

思いました。 

違っていたら、生意気だったらすみません。

全知全能は幾つも存在する訳ではなくて、けれども人が生きて

いく上で、それぞれにその国に神さまが必要なのだと思うのです。

それが国によって、そして人によって受け止め方が変わって

しまったのではないかと思うんですね。

お釈迦さまも キリストも自分を崇めなさいとか、自分を信じ

なさいではなく、全知全能に触れたとき、それをただ問いた

かったのではないかと思うのです。

自分が、ただ神を生きたかったのだろうなぁと思います。

そこにいろんな教えを作りだしたのは、人ではないかと思います。

人は人を縛ることで、そして誰かが優位に立つことで、人の世を

収められることを知ったのでしょうね。

良いか悪いかではなくて、それは生きていたら、必ずそうなるでしょうし

仕方のない事なのかも知れませんね。

けれど元来、人の心も魂も自由であって、どんなに縛ろうとしても

魂は何が真実かという事を、無意識に覚えているのでしょうね。

だから苦しくなるのだと思います。

人の魂や心よ もっと自由であれ、そしてもっと安心であれ

といつも願います。

どんなに苦しい立場にいても、どんなに今が苦しくても

魂は自由であって、そして安心でなければいけないなぁって

思います。笑う 

きっとね、今を生きていたら難しいのかも知れませんけれどね。

でも元来、魂は安堵を知っているものだと思うのです。



アマテラスの物語の中に、大きな丸い球体のところから

小さな球体が川の流れのように、流れ出していく場面が

ありました。

その小さな球体の中には、沢山の命があって山や、人や、

石や、動物や、虫や、木やたくさんのカプセルの中にそれぞれの

命が入っていて、命が生まれていく様が描かれていました。

それをみた時に、娘が生まれる時を思い出しました。

22年前は、わたしもすっかり不思議な皆さんの事を忘れて

おりましたので、不思議な出来事があったとしても、特に気に

する事もなく普通に生活していました。

娘は帝王切開で生まれました。

全身麻酔だったので、意識が無いはずなのに、誰かに

話し掛けられて、知らない映像を視ていた事がありました。

それは小さな白い丸いものが、順番にただ生まれ落ちて

いく姿でした。

一つ 一つが透明な螺旋のラインを通って、白い丸が飛び出して

いくのです。

「命の誕生」 「こうして生まれていく」 と 姿がない誰かに

話し掛けられていて、けれどカチャ カチャという金属音の

ような音がうるさくて、音がうるさいなぁと思いながら

その白い球体が飛び出していく様子をただ眺めていました。

そして次に気が付いたらベッドの上でした。

今思うと、かちゃかちゃという音は、手術をしてるメスとか

の器具の音だったんだろうなぁと思います。

痛みは全く感じないけれど、意識だけはハッキリと違う

ところにあって、人が生まれて行く様を見ていたので

そうして娘がここに生まれて来たのだと、その時はそんな

ふうに思いました。

けれどもわたしが教えられた生まれる瞬間は、また違って

おりましたので、娘が生まれる時の不思議な事はすっかり

忘れておりました。

アマテラスを読んで、その時の出来事がふーっと甦って

来ましたにこにこ




雲が多い仙台です。

もしかしたら、この地球の何もかもが、同じようにカプセルの

球体に包まれて生まれて来たのしょうね。

命のカプセルは日々いろんなところに、雨のように降り注ぎ、

そして雨が上がるように、天に還るのでしょうね。

わたしの今日を 精一杯愛します。

どうぞ皆さんの今日を 精一杯愛してあげて下さいませ。

行ってらっしゃい、行ってきます。腕。