こんにちは


7,8年前でした、御坊さんのような方がわたしの左後ろに

立たれていたのに、その姿をはっきりと見ていました。

本当なら、後に立っていたなら姿は見えないはずなのに

そのお坊さんはマスターブッダだと、互い意識のみで

会話が成立していました。

もちろん夢ではなくて、起きていましたよ。

身体を抜けるのは、いつも起きているときなのです。

起きているけれど、わたし達は身体を忘れて意識だけで、

あっという間にどこにでも行っていて、その美しさ、身体の軽さ

ただ愛が溢れ満たされている、穏やかな安心感を、いつの

時も感じる事が事が出来るのだと、知りました。

その頃、起きているのに何度か体を離れる体験が続き、

あの世とこの世の次元というのは、ここからここまでというような

境界線はないのだと知った時期でもありました。

境界線はないけれど、体を持ったまま行く事は出来ない

領域、だからあの世となるのでしょうね。

きっと一瞬の事だと思うのですけれど、いつもとても長い

時間に感じるのは、その境界線のところも時間が無い

からなのでしょうね。

今日は、自死の事に付いて書いてくださいと言われましたが、

自死は、以前のブログに何度か書いていてね。

だから、今日は書きませんね。

だけど体を持って生まれる時も、体を失うその時も全ては

自分が決めてきていてね。

わたしはこの世にいる限り、自死は認めてはおりません。

けれど語弊があるかも知れませんが、責めるつもりは

ないのです。

そしてご遺族の皆さんに、あの世で苦しんでいると、

後悔していると、わかったふうに説くつもりもないのです。

亡くなったばかりの頃の意識は、生前の肉体の思いがあるか

も知れませんが、境界線を超えた魂意識は、すでにお役目を

終えた事への、魂の感動を誰もが感じていて、それは亡くなり方

に関係なかったからです。

もしも国によってそれぞれに天国があって、国によって違う

地獄があって、国によってあの世の教えが違うのならば、

あの世は、なんて了見が狭い処なのでしょうね。

了見の狭さも、人が説く窮屈さも、教えも何もかもこの世だけで、

十分だと思うのは、わたしだけでしょうかね。






さてさて、昨日の福岡の続きです。

Mさんが御写真を送って下さいました。

筥崎宮の白い玉は、こんな感じのもっと大きなものが
 

ここに見えていたのです。 
 
神さまもエネルギーなのでね、お近くに来て下さる時は

金色の光りの玉であり、白い光りの玉なのです。

それを人がわかりやすいように、お姿に変えて見せて

下さるのでしょうね。



Mさんが、わたしを後から写して下さった太宰府天満宮。

夕方と言っても、それでもかなりの人がいたのですけれどね
 
偶然にも有難い事に、一人で神様と向き合わせて頂けた事

とても嬉しく思いました。

 



夜は、上の子が小学校からの友達でもある、

 

Mおかさんと

2年振りに会って食事をしました、

会った瞬間お互いに 「久しぶり~元気

 

やったと?」と無意識に口から出る博多弁。

普段、頭の中の言葉は、決して九州弁では

 

ないのに、こうして九州の友達に会うと、

 

無意識に九州弁になってしまいます。

もんもんとした湯気の中、モツ鍋を食べました。

 

実は、初モツ鍋でした。

 

Mおかさんが 「こん人宮城から来んっしゃったと」 と 

お店の人に言ったから、わたしが 「んだけん宮城弁

じゃなかと」って九州弁で言ったら、お店の人が

 

笑っていました。


いつもはあっけらかんとしているMおかさんだけど、

 

何だかこの前は元気がなくて、ご主人の病気や、

 

娘さんの手術の事や、末っ子の事や、なんや

 

かんやと落ち込んでいてね、

「何でか全部わたしの責任たいねって、思うて

 

しまうと」って、話していたけれど、

家族の誰かが病気になったとしても、

家族に何か嬉しくない事が起こったとしても、

それは誰のせいでもないと、わたしは思います。

病気になったからいけないのではなくて、

 

それでも最も良い状態で見つけられた事は、

 

とても最善だったのではないかと思うのです。

家族の責任の何もかも、自分が背負う事なんて

 

出来ないと思います。

不幸だと思う出来事の責任を、あなたが負う

 

必要なんて、なくてね。

きっと人は、何か受け入れられない事が

 

起こってしまうと、自分を責める事で、その罪を

 

受け入れようと思うのかもしれませんね。

無意識に悔い改める癖が、わたし達には

 

備わっているのかも知れないなぁと思うのです。

でもね、それは心の自傷行為だから、ますます

 

苦しくなるのかも知れないなぁと思いました。

もしも自分を責める癖ができている方は、

 

誰の責任ではないのだと、そう思える癖を

 

どうぞ持ってくださいね。



ママ友のMおかさんや、千葉のMほさんに

 

会えば、いつも子どもが小さかった30代の頃、

 

「あの時楽しかったね~」って話になります。

けれど30代には、30代の時の悩みや

 

心配事があり決して、楽しかっただけでは

 

無かったはずなんです。

それでも有難い事に、過ぎてしまえば楽しかった

 

と思える事が嬉しくてね。

”あの時は良かったね”

それはきっとまた20年も経てば、「あの時

 

良かったね」になるのだと思います。

「あの時まだ50代だったから、まだ若かったから

身体が動けて良かったね」に、いづれなるん

 

のと言って、二人で大笑いしていたら、気付けば

 

11時半になっていて、慌ててホテルに戻って、

 

モツ臭いまま寝てしまいました。



今きっと良い事ばかりじゃなくても、それでも

 

過ぎてしまえば良い時代になるのなら、今も

 

そう思って過ごしていないと何だか勿体ない

 

なぁと思いました。

 






今日は朝から肌寒い仙台です。

犬のお散歩をしていたら、きのこが出ていて

秋? もう10月?と錯覚しそうでした。

ブログの更新が、お昼になってしまいました

それでも読んで下さって、有難うございました。
 





まさよ劇場


女) じぃさん。さっき尻を触った事をバラされたく

なかったら金だしな!

じぃさん) しーっ、騒いではいかん。
 ここはひとつ。わしが使った箸で勘弁してくれ。
 いま納豆くったんじゃ 

女)汚ね~だろ