おはよう

ホテルでパソコンをお借り出来なかったので、

 

土、日と更新出来ませんでしたが、それでも

 

いらして下さった皆さま、  

 

ありがとうございました。


 



2年振りの福岡でした。

福岡のMさんとご主人には、本当に御世話に

 

なりました。

何度も送迎して下さり、いろんな神社さんに

 

連れて行って下さり、申し訳ないくらいに

 

御世話になりました。

本当に楽しい福岡でした。


金曜日、筥崎八幡さまに連れて行ってもらいました。

車で移動していたら、突然ざんざん降りの雨に

 

なって、あらら~と思ったのですけれど、着いた

 

頃には青空がみえて来ました。

わたしはカメラを持って行ったのですけどね、

 

カメラを充電しておくのを忘れていて、写せ

 

なかったんです。

本殿の左側の屋根の上に、白く大きな輪が

 

見えたので、これは写真に映るかも知れない

 

なぁと思いました。

神社さんやお寺さんに行くと、不思議なお写真

 

がよく撮れるのは、こうして神様やいろんな

不思議な方々が出迎えて下さっているから

 

なのだろうなぁと思います。


本殿の横に移動して丁度こんな感じで、5人で

 

並んで見ていたら

 

”ち・の・み・ち・す・じ・・・・”  と聴こえてきたので、

なんの意味だろうかと思いましたが、気を整えなさい

 

という意味なのだろうなぁと受取りました。

それが丁度、最初に白い大きな輪をみた辺りだなぁと

思いました。




次に向ったのは香椎宮でした。

本殿に向かって手を合わせていたら、公家言葉という

のでしょうか?

詠うように上品なお言葉が聞こえてきましたが、

 

神功皇后さまだったのでしょうか、きれいな

 

御言葉と思いましたが、その意味は最後まで

 

わかりませんでした。


そして最後に、大宰府の天神さまに連れて

 

行ってもらいました。

 

有名な飛び梅
 

実は天満宮には一度も来た事がなくて、今回

 

はじめてうかがえた事、とても幸せに思いました。

昔は何か災難が続くと祟りの仕業と考え、祟り神

 

として祀られていている、その代表的なお一人が

 

菅原道真公でした。

九州に住んでいた14年前は、怖いというイメージが

ありました。

けれど、今回どうしても行きたいと思いました。

道真公がお亡くなりになられて、千年以上

 

経っているので、お話しをして下さるのかどうか

 

わかりませんでしたけれど

夕方だった事もあり人は少なくて、そしてわたしが

 

手を合わせている時、気付いたら有難い事に

 

一人で神様に向き合わせて頂きました。

大きな神鏡を前にしたら、その鏡が揺らぎ出して

 

大きなエネルギーが、わたしの胸のところまで

 

いらして下さいました。

そうして感じたのは、孤独と悲しみと安らかさでした。

”いつの世も人は移ろいやすくそして、悲しいもので

それは、今昔も変わらぬこと”

世の平安を願い、人々の平安を願い政に想いを

 

馳せたがそれが理解し難い受け入れ難し時代

 

だったこと。

けれど今こうして人々が尋ねてくれる事が、願って

 

いた人々の平安に繋がっている事が、満足だと

そういうお話しをして下さいました。


きっと短い時間だったのでしょうけれど、わたしには

 

とても長い時間に感じられて、道真公のお気持ちも

 

知る事が出来て何よりも有難く思いました。

本当は陥れた人を恨んだ訳でも、怨霊になった

 

訳でもなくて、天才と言われる程の頭の良さを

 

お持ちなのに、威張る事も偉そうにされる事もなく

 

穏やかな、人だったのだと知れた事、何よりも

 

有難く思いました。

道真公がお亡くなりになった後で、偶然にも災難が

 

続いた事で、道真公を妬み陥れた人々が、自分の

 

した事の後ろめたさから、こうしてお祀りされたの

 

だろうなと思いました。

それは自分の行なった事への、自らの畏敬の念

 

だったのかも知れませんね。

今の世だったら簡単に受け入れられた事も、道真公

 

が望んだ世は、少し早すぎた時代だったのだろう

 

なぁと思いました。

わたしは、神社の神様の事は、あまりブログには

 

書かないようにしています。

人とか、お亡くなりになった方のご家族とお話しを

 

するのとは違い、神様とのお話しはそれが本当か

 

どうか、証明する事が出来ないからです。

個人相談とかなら、人がいて下さるので、それが

 

真実かどうかわかって下さるのですけれど、神社の

 

神様の場合は残念な事に、それを証明できないのでね。

まさよの勝手な妄想と、思われる方もいらしゃると

 

思うのです。

けれど今回は、わたしが参拝している姿を、

 

3メートル程離れて、Mさんご夫婦が後から見ていて

 

下さっていてね、

Mさんが 「まさよさんが手を合わせている間、

 

ずっと鏡が揺らいでいて、まさよさんが離れたら

 

不思議と止まった」と話していて、何も言わなくても

 

同じように鏡の揺らぎをみて下さっていたので、

 

お話しをすることにいたしました。


人の意識は、千年も続く事など普通はあり得

 

ないことなのです。

けれど、神様になるとこうして意識が残って

 

いるのは、神様になると、人々がその方を

 

忘れていない事で、意識を残して下さっている

 

のです。 

けれど道真公は、神様というよりももっと人に

 

寄り添い人の穏やかさ、優しさに近いものが

 

胸に届き、わたしの胸も熱くなりました。