自分を責めて強く生きよう! | 流離のロマンチストかく語りき

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何か書けと言われても、何と書いたらいいのか、、、、

とりあえず、暇な方は、ちょっとだけでもお立ち寄りくださいね。



さて、そろそろ頭だけでも正月モードから切り替えなければ、自分の性格からして、春までズルズル引き摺ってしまいそうだ。


某所にも書いたけど、昨年にNHK教育で放送されたハーバード 白熱教室は、さすがNHK!って感じのタイムリーな番組だったように思います。


実は、僕も知る人ぞ知るアメリカの大学で学んだ一人だったりする。


ただし、僕の場合は、ハーバードのような優秀な大学でなく、いかにも西海岸!って感じのノー天気な大学で、尚且つ、本講義に参加するための語学教室で大半の時間を費や結果になってしまったので、とてもじゃないけど、英語で議論なんてできるシロモノじゃなかった。


そんなわけで、まともな講義こそ受けられなかったものの、それでもオープンなものだけは何度か顔を出したことが有った。


頭では判っていながら、挙手をして意見を言ってる奴らより、絶対に自分の意見のほうが良いと確信してるのに、それを英語で表現できないもどかしさは、今での記憶の中に鮮明に残っている。


正直言って、専門的に何かを学んでた奴を除けば、国語は勿論、数学、理科、社会、それこそ音楽や美術に至るまでの一般教養に於いては、周囲の誰にも劣ってないという自信は有る。


が、他国では、その国の言語を使えなくして生かすことが出来ないのだ。


つまり、幾ら日本で高度の教養を身につけてたとしても(俺の場合は、それほどのものじゃないけど)、それを言葉や文章で表現出来なければ、宝の持ち腐れということ。


まあ、僕の場合は、端から勉強しようと思って行ったわけじゃなかったし、違う形で学ぶものは多かったけどね。


いちおうながら、僕が最初で最後に参加したのは、民俗学の教室。


ねぎマ!のクラスじゃないけど、妙に留学生が多い教室だった。


って、俺もそのひとりなんだけど、、、


留学生の半分(といっても9人だったけど)くらいの奴は、僕と同じレベルの英語力で、似たもの同士というか、キズの舐めあいというのか、だいたい英語力が同レベルの奴同士が仲良くなってしまうもの。


けど、その分、理解し合えるように一杯話もしたし、怪しいことも教えあった。


オヤジがベトコンだったという奴や、爺さんが文化革命で戦死したとか言う奴も居たけど、正直言って胡散臭かった。


ところで、ベトコンって知ってる?


いわゆるシャムの双生児で、ベトちゃんとコンちゃんが居て、、、と言うんじゃなくて、つき立ての餅のようにベトベトしたコンピューターのこと。(べーっだ!


と言うところで、本当のことを知りたい人は、勝手に調べて頂戴!と言うことで話を戻して、短いながらもハーフシーズンだけ、野球とフットボールをやったり、ダウンタウンのホテルや日系が集まるパブで弾き語りのバイト(勿論、違法です)して忙しかった僕が、なんでその教室には頻繁に顔を出してたかというと、その教室が他国籍的存在で、テレビの話し、音楽の話、スポーツの話し、料理の話し、恋愛の話、、、等、教科書には載っていない普通(その国ではってことね)のことの話を聞けたから。


近年は、インターネットを使えば、世界中の情報がリアルタイムで知ることが出来るけど、当時は、詳しい人の話を聞くか、書籍を通してしか知り得なかった時代。


特に、マスメディアに取り上げられない、日本人が観光に訪れない国の情報は新鮮だった。


だからと言うわけじゃないけど、一番親しくなったのが、オヤジがベトコンだった奴。


勿論、今でも信じちゃいねーけど。


そんなわけで、結構面白かったのは、音楽を通して親しくなれた奴が多かったこと。


僕が尺八を覚えたのは、同じ教室に居たドイツ人から教わったもので、三線(蛇皮線)を教えてくれたのは、オヤジが軍人で沖縄に駐留してたヤンキー。


な~んて、しょーもないことを思い出してしまった。


学問的には、たいしたことを学んだ記憶はないけど、語学の壁に臆することなくコミュニケーションを作ってゆけば、おのずと後からついてくるし、それ以上に、他国籍文化を知ること、尺八や三線のように逆輸入的に出会い、それまで見向きもしなかった日本の文化に、改めて興味を持ったことだけでも十分に意味の有るものだったように思います。


けど、近年は、何も外国に行かなくたって、至る所に外国人が居るもんな、、、


しかも、向こうから話しかけてくれる。


チョッと良いですか? アナタは神を信じますか? ワタシは、アナタト友達になりたいです。 」 とか、 「 シャッチョさん、イイコいるよ! アソンデってよ! 」 とか、、、


ちなみに、かなり前にも書いたと思うけど、ゲーム会社に居たとき、渋谷で先の声を掛けられて、モルモン教徒になった奴がいて、タバコもコーヒーもやらず、ミロばかり飲んでたっけ。


って話は、どうでもいいですね。にひひ


ついでの話になるけど、我が母校の星?になりつつ有る(もうなってるのかも?)、立命館大のY沢教授の授業って、どんなんだろう?


一度、見てみたいものだ。


頭(中身でなく表面ね)だけは、マイケル・サンデル教授に似てるみたいだし、、、にひひ


これも昔の話だけど、最近は、ニセ学生ってしなくなったんだろうか?


僕らの時代は、学生間で良い授業をすると言う噂が立つと、別の大学の学生が、その大学の学生を装って授業を受けたものだった。


言い換えれば、それだけ貪欲に勉強したい奴が多かったということだね。


今の大学生のように、勉強なんかそっちのけで就職活動してる連中には、とうてい理解が出来ないことだろうけど。


そもそも、大学という場所の考え方が間違っているんだよね。


就職するための資格&肩書きみたいに思ってる奴が多い。


勿論、高度成長期以降、長い間に渡って、そういう伝統が作られてしまったことは悲しい事実。


けど、大学の本来の目的は、小中高と12年も掛けて身に着けた教養を礎にした上で、自分が学びたいこと、研究したいことを追求し、それを応援してくれる場所のはず。


ただ授業に出て、見てるだけ、聞いてるだけ、書き写してるだけでいいのは、せいぜい義務教育まで。


だって、高校や大学は、別に行かなくても良いんだもん。


って、スポーツするだけの目的で大学に行った俺が偉そうなこと言う資格はねーか?べーっだ!


それに、国数英理社等を小中高の12年間で学ばせておいて、大学に入って、また2年間(理系は知らん)も同じことをなぞる意味はわからねーけど。


けど、その一般教養で落ちこぼれるようなアホ学生が居ると言うのも凄いことだよな。


なにしに大学に入ったんだろうか?


俺の場合、本を読まないくせに、なんで文学部(しかも日本文学で、今まで1冊も完読したことがない)に入ったかというと、文学部に入れば、作家になれるノウハウを教えてもらえると思ったからなんだけど、、、


まさか、俺と同じタイプ?叫び


じゃねーよな?


昔々のことだけど、結構幾つもの大学にニセ学生で入り込んだっけ。


自宅から歩いて行ける距離に有る独協大を筆頭に、早稲田大、明治大、法政大、国学院大、青学大、日大、慶応大、、、って、後の2校は、ニセじゃなかった。べーっだ!


と言うことで、もっと別の話もするはずだったけど、ついつい余計なことまで書いて長くなっちまった。


まあ、気が向いたら、また別の機会にでも書きましょう。


もし、大学4年で就職が決まってない人が居たら残酷な話になるかもしれないけど、こんな時代になって、もう彼是15年以上経ってしまってる。


にも関わらず、大学を出れば何とかなるという考えで入ったのなら甘いとしか言いようがない。


東大や京大等の国立大学や私大でも早慶大レベルならまだしも、コネもなく、世間一般的には、二流とか三流とか呼ばれてる大学にも関わらず、積極的に学ぼうとせず、かと言ってクラブ活動とかもせず、最低限の単位しかとらず、これといった独自のスキルも身に着けず、英会話(最低限、英語+もう1ヶ国語は当然だぞ)さえロクにできないなんて、4年間何をやってた?って思われても仕方がないことだ(バイトが忙しかったという理由は通用しない)。


何処かの企業の人事の方が言ってたけど、以前のように海外向けの人材を国内で採用せず、国外採用が普通になるらしい。


その理由に、例えば、中国人留学生なんかの場合、日本で勉強してる段階で、殆どの者が母国語の他に、英語と日本語の3カ国語が使えるわけで、その段階で、ろくに英語も話せない奴は失格!


とりあえず大学に行けば何とかなると思った本人だけでなく、自分達の時代はそうだったと疑わなかった親にも責任が無いとは言えないけど、二十歳を過ぎて、まして親から仕送りまでしてもらってる奴に、果たして文句を言う資格が有るのかどうか?


それは、親に対してだけじゃなく、社会に対しても同じ。


そもそも、社会が悪い!、時代や政治が悪い!、なんてことを言ってるような奴は、なんでも外罰的に考え、自分を被害者のように思い込んでしまう。


けど、そんな考え方をする奴に、誰が手を差し伸べてくれる?


と言うところで、キツイことを言っても、将来は、そういう世代に掛かってるわけで、是非、狭き関門を突破してください。


なんてったって君たちは、何億もの精子の中から選ばれた1人なんだから。あせる