正倉院展と 柳生街道と 地下の正倉院展と

 

 ホント! 齢をとると生きてるスピードが速くて速くて!
またまた正倉院展が・・・・・巡ってきました。それで、早速行ってきました。
 旅行だ、食事会だと出歩いてばかりで家事もロクにせず、我が家という「国内」にたまにやってくる?我『インバウンド妻』は放~っておいて(否、放~っておかれて)、10月30日朝、奈良へ一人でむかいました。まだ奈良公園の紅葉は早いだろうなぁと想いながら・・・・・
 

 午後に奈良公園へ着きましたが、1年前よりさらに外国人が多くなり(なぜか浴衣みたいな素地の着物を着た外国人も。コト観光なのですかね)バスの運転手も英語で案内・アナウンスをするようになっていました。それも停留所名だけでなく、“もっと中へ入ってください”だの“乗り換えはどこどこだ”の注意アナウンスもです。

 

                                    奥が奈良国立博物館です

 

正倉院展&耳寄情報
 いつも奈良へ着いたら、前売りチケットを握りしめて一目散に博物館入口へ向かったものですから全然気ずきませんでしたが、写真の案内のように荷物預り所があります。会場の奈良国立博物館臨時チケット売り場前に臨時で設置されたテントの中にコインロッカーがあります。しかもこのコインロッカーはうれしいことに無料です。使用後コインが戻ってきます。このロッカーに預けられないような大きな荷物は無料で預かってくれるそうです。荷物はここへ預けて身軽にして御物鑑賞に行きましょう!!

  

無料ロッカーの案内です

 

 

         

会場入り口への並ぶ通路です。いつもはズラ-ッと並んでいますがすいていました

 

 午後2時ごろ入館しましたが、団体も見かけず、ごった返していなくてスムースに入館できました。
 地元関西の方ばかりのように見受けられました。ただ、若い方・若いカップルはあまりいませんでしたね。ほとんど中年以上の方が多く、それにしてもご夫婦はともかく数人連れのオバちゃん連中は困りますね。やれ“すばらしい!”だの、やれ“これは云々”だの、“ねぇこれチョットチョット”だの、嬌声・お喋りが激しく私の耳元へ聞こえてきます(よう喋りはります!!)静かに1300年前に思いを馳せて鑑賞している私には困りものです。もちろん私だけの観賞場所ではないですが。
 評判の御物、(たとえば宝石のように貝が散りばめられた平螺鈿背八角鏡は)メディアでその素晴らしさが紹介されていますので、腰痛に苦しみながら私が4時間かけて鑑賞した御物の中で1300年前の当時の人の暮らしや行動をシミジミ思いふけりながら鑑賞した御物を紹介します。
といっても以下私の歴史ロマン&大妄想です。

 

①繍線鞋(ぬいのせんがい、刺繍飾りの靴)・・・光明皇后は長足だった?     

 つま先に刺繍を施した花形の飾りがついた靴。靴というより絹や麻で出来ており、女性用の室内履き(スリッパ)が2足(2組)出陳(この場合、出品といわないようです)されていました。原形はトルファンで似た靴が見つかっており、唐で使われているのでこれは中国製と思われます。光明皇后や高貴な貴族の人が宮廷で用いたものと思われます。
27センチもありますのでこれによれば、光明皇后のおみ足は27センチの長足だった?のでしょうか。
 解説にはありませんが、2足のうち1足の片方はつま先の花形が取れてありません。よく見るとその取れ方は尋常ではありません。使いふるしたとか1,200年を経て劣化したというような取れ方ではありません。なぜこのような異常な取れ方をしたのか、それは・・・・よほど強い力がかかったから取れたに違いありません。さながら投げつけて、どこか壁にでもあったってとれた感じです。察するに1300年前の某日、旦那の浮気がばれ、夫婦喧嘩の果てに奥様が怒って投げつけたスリッパが、旦那には当たらず壁にあたって先端の花形の飾りがもぎれ取れたのだと思います。さらにじっと観察すると、土踏まずの部分に汗の跡らしい痕跡があるではありませんか(誰も気づいていません)・・よほど怒り丈狂ったのでしょう。
 どうしてこんなことが分かるのかというと、お恥ずかしい話ですが私も深~イ経験があるからです・・・・・私の場合は、茶碗でしたが・・・・・
 光明皇后はそんなハシタナイ事をする方ではありませんから、花形が残っている方は光明皇后がご使用になられたモノでもう一方の壊れた方が宮廷の高貴?な貴族の方のモノのはずです。

 

②錦紫綾紅臈纈?間縫裳(にしきむらさきあやべにろうけちあしぎぬのまぬいのも) 

 長ったらしい名前ですが要するに巻きすスカートです。高松塚古墳の壁画に描かれた飛鳥美人が身に付けているあの巻きスカートです。赤、紫、緑色の細長い織物を取り合わせて縦じま様になっています。(裾丈が長めで丈86㎝、腰部の幅81㎝)裾の素地のピンク色がなんとも妖艶で温泉の湯気の向こうにゆらゆらと浮かぶような怪しげなピンク色です。
伎楽の踊りの衣装だったようです。このスカートを着けた若く美しい舞姫は右に左に情熱的に舞い、この裾をヒラヒラさせて、ギャラリーの男性貴族を悩殺し貴族の心を射止めたのでしょう。ひょっとしたら聖武天皇もグラッとされたかもしれません。
私なぞこれを見ただけで、うっとりとしてしまいましたから・・・

 (ここまで書いてきましたら、なぜか半世紀以上前、高校生の時学校をサボって近くの○○○○○劇場へ踊りを見に行ったことを思い出しました・・・・分かる人には分かると思いますがこれ以上詳しくはちょっと・・・・なんでこんなツマラン事を今思い出すのでしょう。もうこの先短いということでしょうか?)

 他に新羅琴や仏具なども出陳されていました。

 

 これら御物を美術工芸品としてみると、1300年も前に当時の技術の粋を集めてこんな素晴らしい手の込んだ華麗な御物に感動し、今の我々現代人のデザインの参考になるモノばかりです。美術工芸品としみるだけでなく、当時これを使っていた聖武天皇や光明皇后、高貴な貴族、宮中の人たちの生活やその様式がどんな様子であったかそしてその背後にどんな人間ドラマがあったのか、はたまたはるかペルシャから伝わった、そのペルシャや唐とどんな関係があったのかにロマンを感じ(大妄想ですが)鑑賞してきました。

 

柳生街道
 円城寺(えんじょうじ、運慶作の国宝大日如来で有名です。運慶作と分かっている仏像は日本に数体しかなく、これもその一体、その眼と唇が印象的です)までバスで往き、紅葉の美しい円成寺庭園から柳生街道を通って滝坂の道を目指しました(東海自然歩道にもなっています。ここまで来ると奈良公園の喧騒とうって変わって静寂そのものです)。

円城寺の庭園に通じる道です。ここまで来ると少し紅葉しています

 

 目指す滝坂道は春日山と高円山の谷合、渓流に沿った石畳道で平安時代から鎌倉時代にかけて南都七大寺の僧達の修行の場で修験者が往来し、昼なお暗い樹林の中にたくさんの石佛や石窟が佇みます。江戸時代には柳生の道場を目指す剣豪たちも往来した道です。その道を目指し、杉林や石畳の道を歩き続けること2時間、途中、向こうから編笠姿の柳生武士が足早に歩いて来るのに出くわすのではないかと思いつつ、築180年という峠の茶屋に到着。茶屋のオジサンと暫し談笑の後(もうこうなったら自分も茶屋で一服している剣豪気分です)いよいよ石仏・石窟の入り口(滝坂の道)へ。

柳生街道、向こうから編笠の柳生武士が来るのが見えませんか

 

峠の茶屋、あの縁台で柳生武士も私も一服、というところです

 

ところが入り口にさしかかると、なんと・・・・通行禁止のロープが・・・

滝坂の道への入り口は見落とすようなところにあるのですが、そこには通行禁止のロープが・・・!!!

 

 先日の台風で道が崩壊、樹木が倒れ掛かり、道が崩壊しているため通行禁止となっているのです!!!
やむなく案内板の回り道をめぐり、途中春日山石窟群を見たのち春日山原生林(世界遺産)の中(春日山遊歩道)を2時間ほど歩き新薬師寺で四天王像を拝観した後奈良市内へ戻りました。

春日山石窟ですが穴の内部の壁に仏様が彫られていて

暗くてよく見えませんね。スミマセン


始めて歩いた春日山原生林は静寂の上に緑が豊富(もう少ししたら紅葉)でなかなか素晴らしいところですよ。奈良にこんな所があるんです

ね。 滝坂の道は次の機会まで残しておきましょう。

春日山原生林です

 

地下の正倉院展(平城京のゴミ捨て場から見つかる1200年前の木簡)
 奈良時代、紙は貴重だったので木の板に文字を書き、用件が終われば表面を削って再利用し、しきれなくなったところで平城京のゴミステーションへ捨てたわけです。

木の板になんやら書いてあります。鯖という字が見えますね。

 

 木簡は、役人が書いた行政文書が主ですが、酒の支給お願いがあり、人事考課表があり、借金・休暇の申告書などなど、さらに(昇進が遅い)愚痴を書いたり、漢字の練習をしたりと、なんでもありで、当時の貴族や上位役人から平役人達の生活ぶりがうかがえ、また涙と苦労の切実な日常生活が垣間見られます。
 毎年テーマを決めて木簡を展示しています。地下の正倉院展にはぜひいらしてください。国宝の木簡も多数展示してあります。
 今回のテーマは「荷札木簡」といって律令によって定められた、地方から中央へ納める税金(と言っても海産物・酒や布など)の荷物にくくりつけられて、品物名や納めた国名が記された木簡です。北は奥羽から50日かけて、南は薩摩からと全国幅広く、品物も種々雑多で各地の独産品が都に集められました。
 大八車も宿屋もコンビニもない1300年前、納めるために運んでくるのも、届けた後国元へ帰るのもさぞ大変だったことでしょう。道路だって整備されていないし山々の中を持ち運ばねばならない。食べるモノさえも往復分持っていかねばならない・・・苦労というのか命がけだったようです。
 アワビ○○  天平○年○○郡官吏○○麻呂
と書かれた木簡をジーッと見ていると、これを書いた地方の官吏はどんな思いで書き綴ったのでしょうか 筆を運んだのでしょうか。
 ムラの人々が苦労して生産したモノを税金とはいえ都に送らねばならない・・・・
無事にどけてくれよ。届けたらサッサと無事に帰ってこいよ・・・・
こんな思いだったのでしょうか。

 

 

詳細行程
2018/10/31(火) 14時ごろ~正倉院展
2018/10/31(水) JR奈良駅~円成寺(大日如来)―柳生街道―峠の茶屋―滝坂道入り口(崩壊・樹木倒れにより通行不可)―春日山遊歩道へ―春日山石窟―
 春日山原生林―新薬師寺(十二神将)―破石バス停~JR奈良駅
201/11/1(木)  近鉄奈良(自転車で)―平城宮跡資料館(地下の正倉院展)―平城京いざない館/天平うまし館/天平みはらし館-東大寺戒壇堂(四天王像)― 東大寺法華堂(不空羂索観音)―近鉄奈良