北九州・装飾古墳の主は誰か?

紀元3世紀、弥生時代後期からそれに続く卑弥呼の時代が終わるとともにヤマト王権が誕生します。
墓制(墓の形など)あるいは祭祀方法は時の王権と密接な関係をもち、地域社会との政治的な関係を反映しているので、新王権誕生とともに従来各地につくられていたいろいろな形をした墳丘墓や古墳が、ヤマト王権の勢力伸長とともにその象徴である前方後円墳に統一されていきます.が、その中にそれとは違った一風変わった古墳が登場します。
『装飾古墳』といわれるものです。
古墳の外形(円墳や前方後円墳)は変わらないのですが、内部の石室の天井や側面に彫刻・線刻・彩色など「装飾」されているのです。ヤマト王権時代の5~7世紀につくられました。
3色~5色つかい、来世を思わせるような絵や、船であの世へ送り出すような中国の思想をあらわしている?絵、はたまた魔除けかおまじないか。そんな絵が石室全体に描かれた装飾古墳が登場します。(高松塚古墳やキトラ古墳も装飾古墳の一種ですが、これらは古墳文化が終わったのち渡来の専門的な画師により高い精度の壁画が施されており装飾古墳とは系統が異なるので今回の古墳と違って「壁画」古墳と呼んでいます)

それらの装飾古墳を訪ねて、古代史に造詣の深い友人と2人で、まだちょっと寒い北九州・大分を巡ってきました。

 

装飾古墳は全国で600基ほどあるのですが、ほとんどが九州(特に熊本県)にあり、他に関東地方(虎塚古墳茨城)山陰(鳥取の梶山古墳)東北に点在しています。
高松塚古墳で話題になりましたが、こうした古墳は発見されて絵が空気に触れた途端、カビや劣化が始まります。1700年前の絵の保存対策が難しい上に、江戸~明治~昭和初期に発掘されたとき十分な保存対策がなされないまま今日に至っているのが現状のようです。今回訪ねた装飾古墳も、劣化防止のため埋め戻して内部を見られない古墳や、きちっと空調したうえでやっとすきまからみられるところや、それでも公開する日を年数日だけに限定して劣化を守っている古墳が多数ありました。

 

大塚古墳 (福岡県桂川町)
王塚古墳石室内部です。石室の石の壁にこんな風に描かれているのですヨ。

年に数日だけの公開でこの日は見られず写真はHPからお借りしました。

 

       

 

圧倒するような絵が前面に描かれていますが何の絵なんでしょうか。おまじない?

私には東南アジア南方の文化を感じるのですが・・・・・・

 

竹原古墳 (福岡県宮若市)

下の写真は 竹原古墳です。古墳全体が森のようになっています。

この中にめざす壁画が埋まっています。

 


シッカリ空調された小ちゃなのぞき窓から(それも狭い)食い入ってみてきました。
(写真はHPからお借りしました)

 

 

死者をあの世に送る儀式を描いていると言われています。

 

宗像神社(福岡県宗像市)

昨年、世界遺産になった宗像神社の本殿です。ここの神宝館には沖ノ島(沖津宮)で発掘された、3世紀~6世紀の祭祀に

用いられた遺物(国宝)が数多く展示されており必見です。

 

 

 

 

桜京古墳(福岡県宗像市)

桜京古墳です。

発見された50余年前、調査後すぐに埋め戻してきっちり閉鎖され(写真右のブルーシートが閉鎖された古墳の入口)、

以来人も近づいた形跡のない古墳で、山の中をさがしまわりました。やっと見つけた古墳の前で、私はまるで案内板と同様朽ち果て、疲れ果てしゃがみこんでおります。

さらにこの後あわやの悲劇も知らずに・・・・・・・山中で帰り道を見失い、危うく遭難しかけました。(すこしオーバーですが)

 

 

人の踏跡のないこんな山中(下の写真)で帰り道を見失いさまよいました。

運よく、往きに覚えのあった特徴的印を見つけなんとか下山できましたが・・・・

古墳探索も命がけです。

 

 

 

鬼塚古墳(大分県国見町)

鬼塚古墳です。写真のように通常は閉鎖されているのですが、町役場にお願いして開けて頂きました。

 

小さな古墳ですが眺めのよい頂上にあります。古墳内部石室の石に線刻画が描かれています。

写真ではわかりませんね、すみません。

 

案内を頂いた方から、子供の頃この中で遊び、線刻画の上にいたずら描きをしたもんだというようなうらやましく且つオッソロシイ話がありました。

 

どんな方法・どんな環境でこのようなものを描けたのでしょうか

それにしてもこのような場所、穴倉といってよいところ、灯りといってもローソクがあるわけでなく木を燃やすだけで、煙も出たでしょうし真っ暗な内部で鮮やかなペイントをどうやって描いたのでしょうか。
とても手間がかかり、残業も多かったはず、上司の命令とはいえ、「働き方改革を!」とブツクサ言いながら作業していたに違いありません。そして倭人にはない技術を持った外国からの人の力を借りたに違いありません。

 

被埋葬者はだれか?
不思議なことがあります。通常の古墳と装飾古墳が同じ地域に共存することです。
古墳は地域の首長や有力者を葬りその文化や勢力を誇示するモノですから、通常の古墳に祀られた首長と装飾古墳のそれとは文化圏や勢力圏が異なり、地域的にも別々に存在するはずです。タイプの違う古墳が同一地域に共存するということは同じ地域・文化圏に首長が2人いたことになります。

 

ここからは私の、な~んの根拠もない大・大妄想です!

何故混在するんでしょうか。先述のように同じ地域・文化圏に首長が2人いたことになります。
通常の前方後円墳の首長は従来から地域の首長であり、彼はヤマト王権の支配下にあり
ヤマト王権の象徴である前方後円墳を作った。
一方装飾古墳の主は、それなりのエライ人で、大陸あるいは南方からの渡来人でこの地域を納める豪族・首長に招来された技術顧問であったのではないでしょうか。壁画のデザインは南方や中国大陸のそれに似ています。
そして、地域の首長はヤマト王権のスタンダードあるいは規則にのっとり、自分の墓はヤマト王権の仕様で作り、一方彼等技術顧問団のそれは敬意を払って彼らの文化に沿った装飾古墳を築かせたのではないでしょうか。

 

(「そだねー」といってくださる方がいらっしゃるとうれしいのですが・・・・・)

 

おまけ: これから老後を迎える方の参考に
如何でしたでしょうか、もともと歴史が好きな私は、リタイア―後やりたかった古代史の勉強をあらためて始めたのですが
① 勉強会に参加してそれまでの会社文化と全く違うアンビリーバブルな老人・・・会話中全く他人の話を聞いていない老人や会話の流れと全く違う話を突然始める老人・・・との会話でオッタマゲ、「脳が大混乱を来したり」
② 結論が出るはずのない1700年前の人たちの生活やその環境を学び勝手な妄想をめぐらすことに「頭を使ったり」
③ 仲間とアチコチ現地を見に行って山の中、丘の上と「足腰を鍛えたり」

老化防止、認知症予防にも役に立っている・・・と思います。
 とにかく、老後生活は”きょうよう”と“きょういく”が大切です。
(教養、教育ではなく)
  今日用事がある! 今日行く所がある!   デス。
これから高齢を迎える方の参考になれば・・・・

 

 

【今回見た装飾古墳】

五郎山古墳(レプリカ)
円墳32m径/横穴石室/6世紀/赤・黒・緑3色葬送儀礼/福岡筑紫野
王塚古墳(レプリカ)  
前方後円86m/横穴石室6世紀/室内前面に赤・黄・緑・黒・白5色
     文様多数/福岡桂川

竹原古墳(実物)  
円墳18m/横穴石室/6世紀/赤・黒2色葬送儀礼/福岡宮若市
桜京古墳(閉鎖) 
 前方後円墳39m/横穴石室/6世紀/赤・緑・白3色三角文/宗像市
鬼塚古墳(実物)  
前方後円墳86m/横穴石室/6世紀/線刻画大分/国東市

 

【詳細旅程】

2018年3月22日(木)五郎山古墳(装飾古墳)→王塚古墳(装飾古墳)→川島古墳→
       竹原古墳(装飾古墳)→八幡塚古墳→新原・奴山古墳群・発掘現場
3月23日(金)宗像大社→神宝館→桜京古墳(装飾古墳)→田熊石畑遺跡跡→       水巻歴史資料館→苅田町歴史資料館・石塚山古墳→番塚古墳→   御所山古墳・発掘現場
3月24日(土)青の洞門・耶馬溪→萱篭窯(かやごもり)→宇佐神宮宇佐風土記の丘・川部高森古墳群→鬼塚古墳(装飾古墳)→国見ふるさと展示館→安国寺集落遺跡公園