江戸 のことは日本経済史の卒論を書いたので、幕末の史料・資料を嫌と言うほど読んだ。ゼミの先生から、漢字と片仮名で書かれたもの(公の文書)と、平仮名は多くの庶民が使うものだったことも教わった。要するに、知識人・学問系の仮名としての漢字・片仮名は江戸期までずっと続いていた。江戸時代後期の洋学者は、英文に片仮名を書き加えて読みがわかるようにしていたのが残っている。He read a book.「カレ ヨミキ ショヲ」など漢文口調である。日常生活の平仮名は、都市の庶民向けに読み物出版として平仮名で盛んになっていた。ただ、中世から知識人ー僧侶、公家、上級の武家、地方の有力者などがー使用した「節用集」と呼ばれる字書(各種あり)が生まれ広く普及して昭和初期まで残っていたようだ。なんだかゴチャゴチャしたものになったが漢字を読めないとーそれも行書で!ーダメで古文書を読むことを勉強することからゼミは始まった。
私が大学のことを思い出すのはそういうことで、知識を得ることの壁に挑むことは高校ではやらない。もしも少子高齢化で該当する年齢の高校生が大学全入時代に入ったとしても、文系理系を問わず知識を得ることの壁を教えることをやれば、大学教育を受けた価値はあるように思う。たとえ数年であれみっちり勉強をすることをやっておけばAIとも共存できるような気もする。
就職することが第一であれば専門学校で資格をとり最新の知識を学べばいいのである。