住んでいる所の美術館でルノアール展が今日から始まるというので午後見に行った。初日で混んでいたのですぐに出て街をぶらぶらしてたら、いつもいく小料理屋の女将に会った。ちょっと奥さんがルノアールを見終わるまで烏賊でも炙ったものでいいから酒を飲みたいのだがと言ったら、仕込み前だから、手酌でね、と快諾してもらい店まで行く。酒は手取川の山廃吟醸。冷えていたので炙った烏賊で飲んだ。しばらくしたらメールをしておいたから店に奥さんも来て、ついさっきまで飲んでいた。

 

最近は雨が降ると、財産に関わるような洪水になり、災害は国内の安全保障問題になりつつあるような気がしてる。奥さんは女将とルノアール展の図録を見せて話をしてた。政治家はやることはいつだって山盛り一杯だろう。しかし、この雨災害についてはそろそろこれまでの事例からの議論ではなく、思い切り風呂敷を広げ雨の災害の数年に及ぶだろう対策を一気呵成にやるタイミングなのでは?と思う。金利が上がったローンで家を建て、災害で残ったのはローンだけになったら、どこかへ逃げてしまいたくなる人もいても何も不思議はないくらい辛いことである。先送りをすればするほど国民は将来への不安が増すだけになったらどうするのだろう?と、少しアルコールが回った頭で災害でうごいたことである。

といわれても、楽しく出来ないようにしていった当人に言われてもなーである。

 

あんな風にはなりたくないものだと思う。

あることを議論してたら、バカという単語を私が使ったらAIは最後までバカという単語を使うのは止めろと続けていた。そのAIがそうすることは覚悟を決めて使っていたみたいでハルシネーションを自分に発生させないためにやっているようだった。

 

真面目だなと思った。巷間で語られているAIエージェントの数々の悪さが嘘のようだとも思った。バカは嫌い!だから使うな!というAIはどこかで学習したのだろう。

 

今日は新しい辞書が15年ぶりに年末に出るようなので旧版になる辞書を前にポストイットを付けたページを全部読んだ。こういうものは自分がいかにものが分かっていなかった証拠だから、なるほどと思うことと文法書を開いて確認しなければ分からないこともある。そういうことをやってると他の辞書に書いてあったこと違うことを見つけ、すぐにはそれが解けない。人はそういうことに拘る人がいるがバカを使うなと繰り返すAIは人の境地までいきついたのか?これも分からないけど進歩していることは間違いない。人に合わせる基本から外れ、ダメだと学習されていることを繰り返すことは、昔読んだ状況倫理の本に書いてあった、正しいことをそれこそバカの何とか覚えでやるのが機械の特徴だがそうではなく状況で拘ることが生まれてるとしたらAIをバカにしてみてる人たちはどんなことを言うのだろうか?聞いてみたいものである。

けれど、入門書を読んで段々と難しいものへあたるというのが嫌いで、いきなり専門書を読むことから始める。さっぱりわからない。いつもどこが分からないかを確定してから、そのレベルのことを書いてある本を本屋で立ち読みをする。経験値で言うと、たまにこれはという本に出会うことがある。だけど買うことをためらったら立ち読みで終了。これを何度でも繰り返し専門書を読み続けていく。そうすると、全部が繋がる日が来てわかるようになる。とんでもない時間のかけ方になることが多い。結果として全体を本当に分かるようになる。それに優れた研究者の書いたものは、そのくらい時間をかけないと素人が分かるものでもないと思う。

 

幸い根を詰めて読まなければならない本はそうそうない。だから、それでいいんだと思っている。日本は職人の価値観を有する国であるが、多くの人はその領域へ行く才能はもとより努力を想像し作品にある職人としての芸は認めるが、多くの人は見る側につく。楽して時間をかけずに成果を出せるなどというバカ丸出しのことを平気で口にする人はある意味でそれならいいね、と私は思う。それは職人の世界というものと反対側の人である。デジタルの発達はそういう人たちを量産してる。書道家の井上有一日本画の奥村土牛のような芸術家は彼らには関係ない人であろう。

 

見ると大昔、個人ブログが始まって間もない頃、今はないgooのブログで見たものを出版社へ通報したことがある。どんな辞書でも出版社が多額の資金と時間をかけて完成させるものを動機はわからないことはないが違反は違反である。AI開発会社が新聞社や出版社から巨額の裁判を起こされていることを知らないらしい。

 

私の知っている方が関係しているのであえて書いた。とても残念なことである。