日本人の法の支配というものは、正直なところ、我が身に法で片付けるしかない状況を迎えないと、法の支配なんてものは頭の片隅にもないように思う。現に私たちの代表者である国会議員その他が国会で参考人として呼ばれ話すことを見ていても、役人なら自分の仕事先である省庁を守るため、会社の役員ならその企業を守るため、政治家なら党を守るために話しているようにしか見えないことが多い。そこで議員からの質問にたとえ嘘であろうとなりふり構わず耐えたら、出身母体からよくやったと褒められるような気もする印象すらする。役人であれ企業人であれ政治家でも、国会という国そのものの組織に呼ばれるようなことになっても、国家に忠誠を誓い嘘偽りはない態度で答える意識がない。簡単に言えば、国家にすら嘘をつくような人は日常生活における活動で誠実に仕事をするか?の問にはnonだろう。そういう背景があるから、何かの出来事で、しでかした側にとても厳しい言説を使う。本当のことを言え、と。言うわけないのである。次に自分たちが何かをやらかして、先に問い詰めた側から厳しいことを言われても、まず正直には答えないからである。国家に忠誠を誓い実行できないペラペラした存在である人は、どんなことがあっても司法から逮捕されても正直には答えない。民主主義ってものは、そういう人たちばかりの緊張感がない社会では、どこまでも建前でしかない。国家への関係性の基本に個人として誠実に国家を裏切らないという人たちが立法・行政・司法の中枢にいないと独裁国家ほどではないがという程度の目くそ鼻くそを笑う問題になってしまい社会体制が溶けてしまうことになる。

 

…ここ数年、騒ぎになったことを思い出してもらえば、私のささやかな意見はわかってもらえると思う。右も左も酷いものである。