理解が進んでくると、理由のわからない「ここはそういうものなのだ」というのが言語にはあり、とても分かりづらい。中国語もそうで、数年前に出版された「中国語学辞典」を知らないことばかりなので読んでいる。私は別に中国語の研究者になるわけではないのだけど、そういう専門家の読むものまで手に取る必要はないのだけど、読んでいると分からなかったことが次々にそういうことかーと知ることが出来ることは楽しい。自分の望んでいることは漢文をある程度読めればいいである。しかし、これはかなり難儀なことのようだ。中国の経書にある熟語・成句を片っ端から、本文を読んで覚えなくてはダメみたいなのだ。とんでもない量の本があるので到底ここまでくればどうにかなりそうだにはならないだろう。ま、このことは飽きることは永遠にないだろうから、のんびりやれる。私は英語があまり好きではない。どうしてかは高校の頃英語の先生がイギリスが世界中に植民地を作る過程で英語はどんどん変わっていったので文法も単語もイレギュラーなところが多々あると言ってた。(本当かどうかは知らない)英語に比べるとフランス語は、決まり事が多いことがいい意味で好きだ。後、人称・時制との重要動詞の活用がそういうものだの極みのような複雑な活用で覚えることはひたすらフランス語の文章を読むしかないのがあるが、文法は朝倉季雄さんの「フランス文法事典」を読めば解決できたので良かった。中国語における朝倉季雄さんは倉石武四郎さんだろうが、日本流の漢文訓読法を批判し原文をそのまま読むことをやったので、もう少し原文を読むことに慣れないと触れない方がいいと遠巻きに見ている。