辞書は使うものだと思ってるので、語釈については基本用例として採用されているものが全てではないか?由緒ある単語をどう使うか?の答えは、作家の作品にどう使われているかだろう。その点からいえば、漢字については、森鴎外の全集は読んでおく必要があるかもしれない。しかし、作家の作品を読むことは手間がかかるといえば、その通りである。でも辞書は作品から見れば語彙を知るためのショートカットだろう。作品から得られる著者の世界観やつくり手としての工夫を味わうことなく、ストーリーだけで面白いかどうかと済ましてしまうことは作家に失礼である。漢字のような長い歴史があるものはショートカットは適さない。

 

少し前あるサイトをみてたら、長沢規矩也氏の三省堂漢和辞典(1971)は彼独りで作られたものだとあった。もう絶版であるが、三省堂の辞書は古本屋にいくらでもあるから、読んでみたいと思った。(70年前の漢字漢語の常識(1953)理論的方法による基本漢字の学び方(1953)があれば当時の混乱した業界のことも知りたい)

 

昨晩、谷沢永一「紙つぶて」自作自註最終版 文藝春秋2005を読んでたら長沢氏の漢和辞典が無視され角川漢和中辞典ばかりもてはやされた事が書いてあり、むかしそんなことがあったんだと知り、それじゃーと思った次第。