労心者治人、労力者治於人。治於人者食人、治人者食於人。天下之通義也

(『孟子』滕文公章句上)の訓読は、

 

心を労する者は人を治め、力を労する者は人に治めらる。人に治めらるる者は人を

食(やしな)ひ、人を治むる者は人に食はる。天下の通義なり。と訓読します。
 

…で、グーグルのGeminiではこう訳す

 

頭脳を使う者は人を統治し、体力を使う者は人に統治される。人に統治される者は

人を養い、人を統治する者は人に養われる。これは天下の普遍的な道理である。

  • 「労心者」は「頭脳を使う人」、「労力者」は「体力を使う人」という
  • 意味です。「治人」は「人を統治する」という意味です。
  • 「治於人」は「人に統治される」という意味です。
  • 「食人」は「人を養う」という意味です。
  • 「食於人」は「人に養われる」という意味です。
  • この文章は、社会には頭脳を使う人と体力を使う人がいて、それぞれが
  • 異なる役割を担っているという考えを述べています。そして、互いに協力し
  • 合うことで、社会全体が成り立っているという道理を説いています。
マイクロソフトのCopilotではこう訳す
 

この言葉は、孟子という中国の哲学者によって語られました。現代語で解釈すると次のようになります:

  • 労心者治人: 心を使って人を治める者は、指導者としての役割を果たします。
  • 労力者治於人: 力を使って人に仕える者は、指導者に従う立場にあります。
  • 治於人者食人: 指導者に仕える者は、指導者から恩恵を受けることができます。
  • 治人者食於人: 一方で、指導者はその地位を保つために、人々から支えられていると言えます。
さぁ、こういうものを漢和辞書に1字も、もらさずあたり訓読を行うことと、どちらが楽なのか?
楽というものは知らないことを気にしないということであるがそれでいいのか…?
そして漢文を教えるということはどういうやり方がいいのか?(こういう新しい道具も含めて)
 
色々アホバカな私でも勉強すること、教えを受けることの本質を考えてしまう。