大修館書店の日本語シソーラスを使うことが圧倒的に多い。ページを見ていると、自分の感覚や記憶とのすりあわせで、納得がいくところと違うところがあり、最近流行りのAIなら迷うことはないだろうけど、人は言葉について記憶というストックがある意味すべてのところもあり、類語辞典で言葉をあてはめるような簡単なものではない。この日本語シソーラスと大辞林と中型の漢和辞典を並べて書き上げたが、どうもしっくりこない箇所を探すと、ああここかーということで見つけられる事が多い。仕事なのでそういう手間をかけてやるわけだが、活字を読む経験が少ない人から思いつきの指摘ーここ違うんじゃないの?ーとか商談で指摘されると、わからない人には猫になんとかなんだなーと役所の人でも株式会社の人でも、残念な思いをすることがある。

 

昔、人工知能の研究者と結婚した同級生がいて、その夫に色々きいたことがある。パターン認識のことをめぐって面白いなーと思った。それから今まで、どんどん出来ることが広がり、人の職業を奪うまで行くような報道にふれると、定型の仕事を毎日やるだけのことなら、たしかに人がやらないでもよくなり、次の仕事を考えなくてはいけなくなるだろう。たとえそれが資格それも国試を得る条件があったとしても…。人でなければならない仕事はどういうものか?次の時代の職業はどういうものが残るのだろう…?ボンクラにはわからないけど、根底から人の職業観を変えるか、徹底的に人にしかやらせないようにーAIを排除ーするかくらいしか浮かばない。