仕事関係のものは手書きで書く。キーボードから言葉の入力は滑るからだ。比較してみたことはないが、キーボードで入力する十分の一くらいしか手書きだと書けない。それは自分の頭で考える速度とあっている。キーボード・ディスプレイ・IMEを使い書いた気になるものは、スケートですぐにころんだことを思い出す。機械を使う言葉の入力は、スケートのように転ばないから、書いたものが滑っていることに気がつかないでも気にならないことがある。手書きは、その日の体調を知らせてくれる。体調が悪いと、それでなくても遅いのにさらに遅くなる。しかし、考えていることの抜けや勘違いを修正できる効用もあるので、元気満々がいいわけでもない。さらに書く前に、メモを書いてみて、浮かんでくることや調べたことを読み直したり、書く前の作業が増える。昔、マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」の草稿原稿をみたことがある。びっしりと紙に書かれた文章が線を引かれて消された後、そこに新たな文章が書かれ、書き入れるスペースが無くなると紙を糊で貼りつけ訂正文を書いていく…。草稿は彼の作家としての仕事ぶりと、その孤独な作業から窺えた。指を使うことであれ、動物としての人間である自分を思い出さないではいられない部分もあり、手書きはやめられない。

 

最初に聞いたときが土曜の朝だった曲。J.J.Cale Don't cry sister