海は広々として爽やかな風が吹き、青い海面は太陽の光を浴びて美しいものだと日本人の海沿いに育った人ならイメージとしてあるだろう。でも大昔の中国はそうではない。後漢末から魏にかけて声訓(せいくん)というある文字の意味を解釈するのに、政(セイ)は正(セイ)なり、論語より。仁(ジン)は人(ジン)なり、礼記より。など注される文字と同じ、または似た音を持つ他の文字によっておこなう方法で語源を物や事柄などがその名前で呼ばれるようになった理由を探し求める書物「釈名」(しゃくみょう)が劉煕(りゅうき)によって書かれた。これによると、海は、”海、晦也。主承穢濁、其色黒而晦也”。(海のことを「海(カイ)」と名づけるのは、それが「晦(カイ)」だからである。海は多くの川から流れこんでくる汚いものを引きうけるために、黒くて晦(くらい)色をしている。だから「海(カイ)」と名づけられたのである)とある。この晦の字は、訓でいえば、みそか、くらい、はっきり見えないということ。劉煕は山東省の出身だったので、彼の知る玄海や渤海などは暗い色の海だったのかもしれないけど、または彼には海を暗いというconnotationを持たせたかったのか…。日本人のような感覚で意味づけをしてなかったようだ。漢語の語源については専門家の本を読むと同じ漢字を使う私たちとは違う感覚、捉え方をしてるものが多く、魚編の日本の漢字が中国でも使われるようなったのものあるけど、もっともらしい素人語源は正直ホラが多い。

 

私は子どもの名前を考えた時に、この国の先行きがあまりいいものを想像出来ないので、男でも女でも使える「出海」いずみを奥さんにどう思うと聞いたら、気に入らない。というのでやめた。(私の奥さんは物事をはっきりというので二の句が継げない)これから生まれてくる子は、一度はこの国の外へ出て行き、帰ってきて立て直しをしてくれたらという思いはいまでもある。