自分のブログで書いていないことだけど、関心があるし面白い記事なので、コメントしたいなと、吹けば必ず飛んでしまう動機で書くことはよろしくないと自戒している。自分自身よく考えたことがないコトに真剣に考えた人の書いた記事で有益なー少なくともピントは合っている、書かれていることは外してないーコメントが書けるものなのか?と幾多のもめ事を発生させた人間として思うから。

そんなことを前提に話を進めると、上手くいけばいいんだがよそ様のブログへコメントして
そのブログ主が、何だこいつ!とか書かれていることは悪意をもって腐す内容でなくても
思われてしまうことがある。自分が人一倍好き嫌いが激しく、よほどの事が無い限り、
自分の考えを変える事が無いから、やりとりが上手くいかないと、もう後はもめ事にしかならない。

だから、そうならないように自分なりにその根拠や幾つかの見解を仕込んでから、よそ様のところにコメントするようにしている。そうやってみると、自分の意見というのはどうやって
認定するのかとかが浮かび、自分も他人もなく、それまでに考えたこと学習したことの途中過程における意見でしかないと思っている。それを突き抜ける見解が評論家なり学者と
呼ばれる人たちは持っているのだろうが、はっきりいって突き抜けた見解は狭い範囲しか適用できないものなのでーある設定された環境、条件下で語れることー曖昧な範囲で語られる社会問題では、他の見解と同じ1つの見解でしかないとも思う。凡眼のしょうもない言説とは格段の差がある見解であるのはもちろんのことだけど…。

そんなことから、熱心にブログを書くが他人のブログにはほとんどコメントをしない人は、
節度がある真っ当な人だと感心しているのです。まずは自分のブログを手入れすることが先なのだろう…。

きのう、ドナルドキーン氏の東京新聞に掲載されている「ドナルドキーンの東京下町日記」
荷風のまなざし
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/shitamachi_nikki/list/CK2014040902100028.html
を読んで、気持ちがほっこりした。こういうことを話す年寄りが外国人であることを…。