歴史を振り返ると、ずっと有権者の行う政治の選択は、政策の選択ではなく、誰が(どの党が)政策を決定するかを投票で決めていた。そういうことが成立したのは、利益誘導政治が有効性をもち、そのパイが年々増加することがあったからだったようだ。現在とは違い、経済政策が一国の枠の中ですんでいた。有権者が自らの仕事を通じて国家から益を得られていれば、政治の色々な過程については関心をもたなかった。

豊かな産業社会という恵まれた社会環境が戦後誰の目にもわかる幸福な時代。

1980年ころを境に、成長の停滞、利益誘導が滞り始めて、政治の混乱が始まり現在まで続いている。利益誘導の滞りは、政治がつまらない諸利益を確保することばかりになり政治家は使い走りになり下がり、公的活動はどうなっているのか?から理想と現実のあまりの乖離に批判がうまれるようになった。(多分、利益誘導政治下では、現実の社会において不平等の是正や社会的流動性がそれほど生まれるものではなく、既存の社会階層性とそれが前提の秩序は頑として存在していたようだ)

実際の所、公共の利益といっても、諸利益集団の競争と調整の結果だったのではなかったかという疑い、重要な問題には目をつむり正義に関する問題もなおざりにし些末な利益誘導政治に埋没する政治をマスコミが報道し、糾弾が始まり現在に続いている。


利益誘導政治が古い旧政治となり、環境やフェミニズムや福祉、最近では原発、憲法改正などの非利益政治の争点は調整や妥協が難しく、最近の政治の特徴である「あれか・これか」式の争点形式なりやすい。争点を束ねて扱うことが困難な特徴がある。その結果、いってみれば単一争点を問う政策論を生みそれは一種のイデオロギーを問う政治となっている。

移動中に読んだ、何冊かの本をまとめるとそんなことが書かれていた。東京の奥への出張だった。