雨月物語を読む。人の情念と執着の物語。私のボンクラ作品紹介よりもこちらを見た方がいいのでご案内します。

 

東京大学教員の著作を著者自らが語る広場 雨月物語

 

 

この作品とっても難しい。とにかく丁寧に読まないとダメな作品。

 

昨夜の雨はまだ続いている。こんな曲が似合う朝

 

 

リアリストが政治家からいなくなったようにみえる。いるのは、自分の地位をつくる場としての政党で、どう立ち回るかの基準で行動する政治家である。その政党が揺らいでいる。すぐに代われる政党があればリアリストな政治家が力を出せたのだろうが、代わりになることが出来る政党はない。いまいる政治家は政権政党はなくならないという前提をもつ人と、その政党へ文句を言っているだけで代案すらだせないダメでのんきな政党に所属する政治家だけだ。

 

もしかしたら経済侵略をされるか正真正銘の軍事侵略をしてくる相手が出てきて、経済競争の枠組みを破壊されるか核を使用されるような目にあわないといろいろな制度や仕組みを根本から変えることは出来ないのかもしれない。

 

リアリストな政治家が、ここがが問題だと指摘し、そこをどう変えて治すか具体的な考え方から具体的に変えていくことを始めないと時間切れで文句だけ言っている空想家が政権に就いたり、やたらに強権的な政治集団がトチ狂った軍事体制を固めるか極端なしょうもない政治が行われるかもしれない。

 

そんなことはないよ、という声が聞こえてくる。そのようなことが続いてきたけど耐用年数は切れているのではないか?と感じている人もいないわけではないようだけど…。

 

幕末史を読んでいた。武士が書いた漢文をである。日本は和の国で平和を求めるというが、昨夜は日本人は好戦的で人の死を屁とも思わない層があり、そういう本性とでも呼べばいいのか、ある「根」を見せないで暮らせるようになったから徳川家康は偉く、1868年まで家康がつくった体制がもった理由のような気がした。

どうも学習用が多く、結局大辞林を使うことになる。机で引く分には問題ないが、そうもいかないことがあり、小型国語辞典は奥さんに現代国語例解辞典を借りている。前に向田邦子さんの持っている本について書かれている本を見た時に、使い込んで背に裂け目がある三省堂国語辞典の初版(1960)を愛用してるようだった。三省堂は敬して遠ざけるようにしているので、今まで三省堂の国語関係の辞書は高校の古文の先生から、「これにしなさい」と言われた三省堂詳説古語辞典しかない。

 

基本私は辞書を読むよりも使うことで、これならいいかなと選ぶので明日本屋にいきみてみようか…。

場所をとらなく、整理も簡単なようだ。でも、私は場所をとらず整理された本は多分読まない。本は、手に持った時の感覚、装丁、ページの組版、文字そして買った時の記憶が1セットになり本となっている。そして乱雑であっても必要なものなら探す。探す過程で「お!」という本に会いそこから横道へいく…。そういうものが電子本にはないからいらない。電子本でかまわない人は、情報としての本としているからだと思う。そういうことは人それぞれであり、重い本をもつことが出来なくなれば電子本にとなるだろうしそもそも本に装丁などどうでもいいという人なら私の価値観はなんだそれは?だろう。

 

この前、筆記具を使ったのはいつだっただろう、という話をしたことがある。スマホやPCでものを書くことが増え、筆記具で書くことがかなり減った。が、私は毎日鉛筆(トンボMONO100)を毎日使う。考え事は100%鉛筆でステノブックに書いている。本を読む時のメモでも使う。私は洟垂れ小僧の頃から文房具店が大好きで、おばあちゃんに連れられ日本銀行の支店横にあった文房具店へ行き、欲しいものは何でも買ってもらった。その文房具店も今はなくなり、文房具店独特の匂いがする店ももうどこにもなくなった。

 

政府がデジタル化がどうたらいいだした時に、無味無臭の世界がいよいよ始まるのかと嫌な気持ちになった。人は動物であり、食品製造会社で一番衛生管理の難しい対象が人であるように、人が人であることは無味無臭ではないことを最近忘れているのではないか?これからの季節、少し動いただけで汗がでる。それは自然な生理現象である。まずはそういう感覚を臭いとかいわないで生きていることだと受け取れないものか暑くなる前に思う。

15日にNHK歴史探偵で放送されるというので、翌日16日にみた。赤間先生、山本先生がでてきた。AIで作品の使用単語の分析を軸に枕草子を語られていたが、高校の頃熱心に読んだというNHKのアナウンサー氏が力不足なのか構成にふくらみをつけられず、散漫な内容になり残念な内容だった。途中、藤原実資の「小右記」の写本が出てきて、一条天皇の蔵人頭藤原行成の「権記」も含め当時の男が書いたものは漢文で書いてあり、漢文をもう一度読みたいと世紀が変わった頃思ったのを思い出した。*小右記も権記も”光る君へ”の時代考証を担当している倉本一宏先生が現代語訳を行っている。

 

枕草子は古典作品としてかなりの難物で、数回に分け放送しないと過不足なく構成できない作品であるから、1回ですっきりわかるようなものではなく無理があったことは間違いない。思うに、「新編 本日もいとをかし!! 枕草子」小迎裕美子 赤間恵都子監修 KADOKAWA2023のようなコミックエッセイを使い構成したらよかったような気がした。をかしの説明は特に…。(をかしをステキという訳語を与えたのは「桃尻語訳 枕草子」の翻訳者である橋本治氏です。彼は萩谷朴氏の注釈書をもとに完璧な逐語訳で全編を翻訳した)