クオリア。どうもそれは、身体の不調または病気と強い相関があるものかもしれない。小さな頃の記憶は、自分にとって独りで布団に横たわることで、8畳の部屋の空間がセットだった。しかし、その空間は病気になると、とてもつれない存在になり、いつもの楽しさが消えていた。病気なので熱がでて普段ではない世界に持って行かれて、おまけに頭や喉が痛く吐き気もする。…そういう特別な時が小さな頃はセットで記憶になる。その記憶の大半は違和感を伴うもので感覚は鋭くなる。クオリアはそういうことを何度かしていく中で人の身体が記憶と応答することで生まれてくるような気がする。
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AIとあるAIのことについてやりとりをしていたら、事業を金勘定だけで見ていることを知る。私は事業というものは、思いがまずあり、その思いをどうやって実現させるかが事業だと思っている、金だけで会社を作り仕事をしても日本では30年もつ会社が極めて少ないという。30年は世代や社会が完全に変わる時間なので、30年以上継続できる会社はただ金が欲しいだけでは難しい。AIは事業をやりたいという思いなどないから、事業をどうやるかは金を巡ってのことしか書けないようだ。これでは、知のインフラには到底なれない。そこが何だかとても残念に思った。
でも機械だから無理もないとは思わない。人とは違うだけの事だと思いたい。〔もそっと正確に言えば、人がやることをAIに聞いたことが間違いだった)
昨夜、奥さんに線形代数学を教えてもらうために、奥さんの好きな焼き菓子をいくつか作り、テレビを見てる奥さんへ話しかけた。そしたら、この春からやっている関テレの「銀河の一票:というドラマを見ていて、私はある発見をした。黒木華演じる(元幹事長秘書役)星野茉莉の台詞回しで、野呂佳代との会話は普通なのだが、1人で話す発話がAIがやっているようで、こういう無機質な言葉に日本語でもなるのだと感心した。そして、FBでおじいさんたちが書いている長文は、これぞこの人たちの若かりし頃全盛の文章で、この人たちがこれから亡くなっていく過程でなくなって行くであろう事とあの文章は蘇ることはないなと頭に浮かんだ。デジタルの時代に与える影響のコントラストをはっきり感じた出来事だった。
裁判でイーロンマスクが、
”xAIがGrokを訓練するためにOpenAIのモデルに対して蒸留技術を使用したかどうかを問われ、「一般的に、すべてのAI企業が(そうしている)」と述べました。さらに弁護士から「それはイエスと言う意味か」と詰められたマスク氏は、「一部はそうだ」と認める発言をしました。”
どうやってGrokがあんなに早く変わったのか大きな疑問だったけど。なるほどの話が裁判でイーロンマスク氏から出てきた。初めてやったわけではないし他でもやってることだけど…。イーロンマスク氏が言ってたチャットGPTを超えるも、こんなものやってなの?と思った。
新聞は熱心に見ている。テレビは尻切れトンボの報道しかないので見ない。(CNNやBBCは見る)ネットが浸透し無視はしていないが、表現の形がもう少し良くならないものかと毎日思う。一昔前までメディアを嘘ばかり間違いばかりだと言う人は片隅異端の人たちが言ってたが、現在ではどこから湧いて出てきたのか正しいことばかり拘る人たちが増えた。私には、政府に配慮することが免許事業であるから、あると思う。だからそういうことをやらないネットメディアは正しいか?といえばわからない。年々そういう傾向が増えているのだけど、雑談をしているだけではないか?という到底専門外の人が専門的なことを断定的に話しているネットメディアは私にとってどうでもいい存在である。この人たちは例えば大きな災害があった時にオールドメディアも参照して語っている。そしてその現場へは行くことはまずない。嘘を言うと非難してるメディアは災害報道の時もやっている部分があっても変なことではないはずなのにそういうことは言わない。常日頃主張していることに違う行動をとることに違和感のない人のいうことは正直聞く意味はない。正しいことと正しさは違うはずである。
そういうことからオールドメディアを見ていると、時代が変わっていることが誰でも分かっているのにその対応の仕方がとても稚拙であることを繰り返すことにいつ気がつくのか?と少し「どうにかしてよ」といいたくなる日々である。
