この世界の片隅にこの世界の片隅に2,000円AmazonAmazon prime Video で見ました。今の時代の人から見たら、不自由で、モノがなくて、とてもやりきれないことばかりなのに、投げやりにならず、淡々と、明るく、前向きに日常を送る、市井の人々の姿がステキです。苦しい時こそ、お互いに優しく、思いやり助け合っていけたらいいですね。このお話に出てくるのはそんな人たちばかり。昔の人はこうだったのかな? 心の有り様、見習いたいです。
屋島今日は屋島に行ってきました。 本堂 屋島にはもう何度も来ていますが、 今までは、源平合戦のことに興味がなかったので、こういう案内図をちゃんと見たのは初めてでした。 この、合戦ゆかりの地にも行ってみたいと思っています。 そして、今回、特に見たかったのが、 「屋嶋城」です。 660年10月 新羅、唐の連合軍が百済を攻めたため、百済から、 人質として日本にいた百済の王子豊璋の返還と救援を求められる。 661年1月 斉明女帝自ら船団を率いて難波を出る。 中大兄皇子、大海人皇子も従ったが、 7月、女帝が亡くなる。 8月、中大兄皇子は将軍を任命し、百済の王子豊璋に5000人の兵をつけて百済に返し、 豊璋は王位につく。 662年5月 日本が統一されてはじめての外国との戦いが始まる。(白村江の戦い) 663年9月 百済滅びる。 664年 唐の使者が日本に。 日本は唐の侵略を恐れて、 対馬・壱岐・筑紫国などに防人と熢(のろし)をおき、筑紫に水城を築く。 665年 百済人を使って、長門国や太宰府の近くに城を築く。 667年3月 都を近江の大津に移す。 667年11月 大和、讃岐、対馬に城をつくらせた。 668年 高句麗が滅び、朝鮮は新羅一国が支配することになった。 志度寺縁起の藤原不比等を調べたとき、中臣鎌足が百済の王豊璋だったという説があることを知りました。 ここから、唐の船が来るのを見張っていたのでしょうか? こうして見ると、東讃地区って、古代から歴史の表舞台で重要な位置にあったのかな、と思います。 下の図では、源平合戦での義経や平家の移動ルートがよくわかります。 さぬき市役所の駐車場から見える屋島と八栗山。 今日はあの屋島の上から、こちらを見ていたのですね。
えー、義経様?今朝の朝ドラ「まんぷく」、松坂慶子お母さんが、夢に義経様が出てきたと大騒ぎ。私、ニヤリ、としましたね。慶子さん、貴方は義経に意地悪だったくせに。なにしろ大河ドラマ「義経」では平清盛の正室役でしたからね〜。この時の慶子さん、本当に綺麗です。