種田山頭火2 | 春はあけぼの

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種田山頭火の句碑に興味がわいたので、

旧志度町内の句碑を探してみました。

 

種田山頭火が志度を訪れたのは昭和3年と14年の2回。

昭和14年は10月26日で、四国遍路のため小豆島から屋島~八栗寺を打って、

志度寺に参拝し、長尾へと向かっている。

 

一つ目の句碑は、八栗寺から志度寺に向かう旧遍路道、志度新町にある

石鎚山奉献灯籠の脇。

 

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「 そのかみの
   おもいでの海は濁りて 」
 
二つ目は、志度寺本堂前

 

「 月の黒鯛

    ぴんぴんはねるよ 」

 

三つ目は、同じ志度寺の、大師堂東の三尊仏の前

 

 

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「 ここにおちつき
     草もゆる  」
 
四つ目は、志度寺から長尾寺へと向かう志度山川線と高速道路が交差するところ。

小坂地蔵堂脇

 

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「  カラスないて

      わたしもひとり  」

 

最後に、志度から離れて、長尾寺に行く途中の、

さぬき市造田宮西長行の 「当願堂」に二つ。

 

 

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「 ひでり田の秋の風がふく 」

 

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 「 水音おべんたうをひらく 」

 

山頭火は山口県防府の生まれ。大地主の家で育ち造り酒屋という

家業を継ぎながら、酒に溺れて妻子を捨て、世を捨てて放浪の旅に出た。

歩いた距離二万キロに及ぶ。

その間、一万句を作った。

志度に来た一年後の昭和15年10月11日、

「もりもりあがる雲へあゆむ」

の句を遺して、松山、一草庵で生涯を終えた。

 

大窪寺には、

 

「ここが打留の水が流れている」

 

の句碑がある。