とうとう一年間の禁パチに成功する日がやってまいりました(笑)
一年前の今日、最後のパチンコをしました。
数日間負けがこみ、やっと当たった『北斗』が単発で、とことん嫌になった私はドル箱半分の玉と4500円残ったカードを捨てて台を離れました。
あれから一年、パチンコを打つことなく今日を迎えることとなりました。
今は、狂おしいほどであったのパチへの執着は、「アレはなんだったの?」ってくらいに全くなく、パチ屋の前を通ってもチラシをみても、
「ふ~ん…んで?( -_-)y-~~~」
ってくらいに、自分とは無関係なものであるくらいに感じています。
とはいえ、ふいのTVやラジオのCMには、ついつい反応してしまうワタクシだったりしているのですが…(涙)
逆に言えば、今が一番危ない時なのではないかとおもうんです。
あれほど自分自身も仕事や家庭も傷つけたギャンブルに対し、たいした執着も感じず、無関係だなんて感じてしまう心境は、また脅迫的ギャンブラーに戻ってしまう可能性を秘めているのです。
きっと今、『もう大丈夫!』とか『ちょっとくらい…』なんてパチンコ台に向かったら、あっという間に一年前の自分に戻ってしまう事がわかります。
ぜんぜん大丈夫なんかじゃないのです。
私はギャンブル依存症だから、全てを投げ捨ててでもギャンブルしたい人間なのだから、常にやめ続けなければならないのです。
かつて何度も何度も、禁パチにチャレンジしました。
しかしことごとく失敗し、私はパチ屋に吸い込まれて行きました。
今までとこの一年の差はどこにあるのでしょう?
それは意志の強さではありません。
あの嫌な記憶すら薄れるのですから、自覚がある訳なんかでもありません。
それはこのブログです。
ブログを書いているたくさんの仲間たちの存在です。
このブログを書く事により、みなさまと触れ合い、思いを共有することにより、記憶を薄れさせることなく、禁パチを継続する事ができたのです。
ほんと、ありがとうございますm(__)m
充実した毎日を過ごそう。
今日もパチンコは絶対にしない。
開設364日目。
なんだか寂しいの川が濁流しまくりである。。。
つねに自意識過剰でプライドが高く、そのくせすべてにおいて面倒くさがりな私。
自分を他所からながめてみたら、きっと、この上なく信用できない人間であろうし全うにつきあおうとは決しておもわない人種であろう。
いつの日からか、人と付き合うためには資格のようなものが必要であると考え、人より上でなければそ求めてはいけないと思うようになった。
また、人より弱くいれば、すがることだけはできるとおもった。
つまり、対等な立場というものを築くことができず常に順位づけを行ない、そのくせトラブルになりそうになれば逃げる選択を続けてきた。
それが私の処世術であったのだ。
ほんとうは、愛したかった。
愛されたかった。
自分自身を位置づけるためには常に他人の目だけが重要で、それは誰がための行動ではなくベクトルは自分に向けられたものでしかなく、たとえ人からやさしいとか立派だなどの評価を受けようとも、それはすべて欺瞞と猜疑と自己満足の拠り所なのであったとおもう。
つくづく寂しい人生だなってと思う。
だから、パチンコにはまったのでしょう。
だから、偽りのぬくもりをお金なんかで買ったのでしょう。
本当の気持ちを、心からの衝動を表に出せていたら・・・
自分をもっと自分自身が肯定できていれば・・・
こんな生き方にはならなかったんだろうって、最近おもう3ピー才(リミットまであと半年)
寂しいの川、濁流である。
こんなことに気がつくことができたのは、ほんと、みんなのおかげ・・・
すこしでも変わっていきたいと思う今日この頃。
みんな、ありがとね。
充実した毎日を過ごそう。
今日もパチンコはしない。