私が追突した2台の方とは、

本当に不思議な因縁を感じます。

 

「因縁」という日本語は、馴染みのない方にとっては

何か怖いもののように感じられるかもしれませんが、

簡単にいうとご縁があるということです。

 

調べてみると、

 
いんねん
【因縁】
  1.  
    1. 
    仏教
    物事はすべて、その起原(=因)と、果を結ばせる作用(=縁)とによって、定められていること。転じて、物事の持っている定まった運命。
     「前世からの―とあきらめる」
     
  2. 2. 
    理由。由来。
     「いわれ―、故事来歴」
     
  3. 3. 
    ゆかり。関係。
     「彼との―は浅くない」

 

と書いてありました。

 

どうしてそう感じるか書いておきます。

 

 

私自身も事故前の記憶がなかったのですが、

私が直接追突した方も、記憶がなくなったのです。

 

警察立ち会い後、それぞれレッカーなどしてもらい、

現場からみんなが分かれた後で、

なぜそこにいるのか分からなくなり救急搬送されたとのことでした。

一泊二日で検査をされて、衝撃による記憶障害だろうということで帰宅されています。

 

事故自体の記憶がなく、衝撃も覚えておらず、私山本の名前も顔も覚えてないんだと、

数日後にご挨拶に伺ったときに教えてくださいました。

 

私が悪い事故なので、もう謝るしかない状況だったのにも関わらず、その方の記憶がないこともあってか、申し訳ないほどに私の状況や体調を心配してくださり、わたしは恐縮しっぱなしでした。

 

体調不良が何もなかったことも、不幸中の幸いでした。

おそらくですが、エアバックが2つとも開くほどの大きな衝撃によって、私も、その方も記憶が飛んだのではないかと、私は勝手に思っています。

ふたりとも、どこも何も痛くないし、怪我もないし、不調がないんです。

記憶はないんですが。

 

人の身体って、不思議です。

そうしないといけなかったんでしょうか。

大きな精神的ショックでこういうことが起こるのかもしれません。

 

 

もうお一方は、持病をお持ちで、普段通っている病院への通院を少し回数を増やしてされたそうです。

その方も、申し訳ないほどに私を心配してくださり、少し驚くような話を聞かせてくれました。

 

「山本さんの車が誤作動を起こした可能性はないですか?」

そうご本人から聞かれて、私は意図がわからず少し困惑したのですが、

「点検などは定期的にしっかりしているので、おそらく誤作動はないと思います。」とお伝えしました。

 

その方は、この地域の水路の多さと、そこに立っている鉄塔の多さに不安を感じているんだということを私に教えてくださり、最近の電気回路を多く使うもの(今回は車)が影響を受け、人体にも影響するんじゃないかと思っていると教えてくださいました。

私はそこは気にしたことがなかったので、なるほどそんな考え方もあるのかと聞かせてもらいました。

 

また、ご自分のご家族周りに、過去追突事故が多かったことを思い出されたとのことで、何か私(その方)が気づかなくてはいけないことがあると言われている気がします、気づくきっかけをいただけてありがとうございます。と、そんな驚くしかない話をしてくださいました。

 

不思議ですよね。

 

大きな衝撃のあった事故後とはいえ、

意識障害が加害者、被害者共に起こり、

怪我や不調は何一つなく、

(その後にわたっても、特に不調はなかったとのことで、本当に安堵しました。)

 

もうひとりの被害者の方からは、

それこそ家系の深い何かについての話を

初対面なのに聞かされる…。

 

前の記事にも書きましたが、

自分自身、事故前に起こった数々のお知らせに加え、あまりにもメッセージ性を感じすぎて、

何を伝えられているのかと

知りたくて探したくて考えたくて

いてもたってもいられないほどでした。

 

ですが、直感的に、これは探すものではない。

「点」を「点」としてただ感じていくことで

何か得るものがある流れだと感じました。

私はどうしても知りたいことがあると

自分の筋肉反射テストを取ることもありますが、この時はそういうことはせず、

ただただ、「今ココ」の積み重ねを意識して生活しました。

 

 

朝の緊急電話のアラーム、

居眠り運転をするおじさん、

身体が感じた心地悪さ、

それ以外の、私にとってのピンときた話。

 

この車は、13年前に亡くなった父の形見でした。

 

母は思い入れのあるこのクルマを父本人のように感じていたのか、捨てることもできず、数年間車庫に置き古されていました。

妹夫婦が海外から日本に帰ってきて、車が無いからと使っていた時に、外の駐車場にある鉄パイプに当たり後ろが大きく壊れ、それをきっかけに新車を買うから手放すという話が浮上します。

 

その時、母がなんとも悲しそうな顔をしたのを私は察知してしまい、母の気持ちが納得するまでは私が修理して乗ろうと決めました。

その後も、調子が悪くなればお金をかけて直し、この事故の数ヶ月前には、かなりの大金をかけて大手術をしてもらい、あと10年は乗ろうと決めていたほど、大切にしていた大好きな車でした。

 

そして、この車には、うちの子の誕生日がついていました。

 

子どもが生まれた時に、父が大喜びをして、特別に喜んでくれて、この子はうちに養子にもらおうかとまで言いながら、彼の誕生日をプレートにつけました。

この車は父が初めて購入した新車でした。

この車自体にも因縁があるんです。

生まれた息子を乗せて、病院から帰っていた時、新車だったこの車は、オカマをほられました。

大切な車に、大切な生まれたばかりの孫、それを傷つけられた父。

新生児の息子を乗せていたこともあり、

いつもは穏やかな父が、珍しく怒りを表現し、きつい口調で相手を責めました。

あんなに怒っている父を見たことがなかった。

 

念がね、入りまくってる車だったんです。

いろんな念が。

 

母の念も。

父の念も。

誕生日がついた息子の念も。

もちろん私の念も。

 

そういうものが、衝突で全部まっさらになったように感じたんです。

 

私が起こした事故なのに、

こんなことを言うなんて不謹慎だと思われるかもしれません。

 

すみません。

したことについては、もちろんきちんと対応させていただいて、示談も成立した上で、この記事を書かせてもらっています。

わたしのおかしな妄想だと、

不快な方は記事をこれ以上読まずに離れていただけるとありがたいです。

 
見えない部分を大切にして生活してきましたが、今回の事故では
見える世界と見えない世界どちらものメッセージが強烈で。
見えない部分も残しておきたいのです。
 
事故の衝撃の強さから、怪我があってもおかしくないのに、完全に護られたと思う状況でした。
 
・ふたりの記憶が飛んだこと
・ふたりとも記憶は飛んだが、身体の不調が何もなかったこと
・もうおひとりの、家系を思わせる不思議な言葉
・被害者の方々が私を申し訳ないほど心配してくださり、とてもありがたい対応をとってくださったこと
・その日に起こったたくさんの不思議なお知らせ
・父の形見の車
・父の孫への想い
・その車の記憶
 
ここに加えるなら、その孫の現在や、彼自身の特性なども書き連ねたいくらいです。
 
何も無いわけがない状況でした。
 
私は、この事故を通して、
自分自身の小ささと、無知さとを知って
 
世界の優しさ、
宇宙の完璧さを知りました。
 
見えない世界はつながっていること、
物を介さなくてもいいこと
不必要なものは手放し、新たな必要なものを迎え入れること、
おかげさまと感謝の世界、
委ねるという感覚
物質の世界の法則、
人間の美しさ、面白さ
 
あるものと、ないもののバランス。
それぞれの役割。
 
たくさんのことを感じたり、
何かが内側で書き変わっている感覚を味わいました。
言葉にまで降ろせない、少し違う場所での感覚も。
 
そして、どう捉えるかが全てだということ。

 
 
見えないものが変化していると同時に、
見える現実の世界の私の感覚も
少しずつ変化しています。
 
人として、真面目に、まっすぐに
このまま愚直に生きていこうと、
改めて思わせてもらっています。
 
 
 
前提、刷り込まれたもの、癖が私を作っていて
それが及ばす影響の大きさ。
それを意識することができ始めると、
本来の自分として、
手放すものを手放せ
得るものが得られる。
 
どう生きたいのかを
改めて問われた大きな出来事でした。
 

事故を起こしてから、検査結果が出た所まで

前回までに書きました。

 

内容が事故なので、楽しくない記事ですが

起きたことを覚えに記録しているので

みなさまにとっては、運転への注意喚起にはなるかと思います。

もしよかったらどうぞ。

 

 

病院での精密検査をした理由は、

事故当時、私の記憶が事故の瞬間からしかなく、それ以前の記憶がなく、何も説明できなかったからです。

状況証拠から推測することしかできませんでした。

 

警察の方から、てんかんなどの持病がひそんでいて、発作での意識障害なのではないか?と問われ、検査を勧められ、自分でも分からなくて不安だったために検査を受けました。

 

結果的には、てんかんであるという「何か」は見つからなかったため、意識消失していたのか、事故による衝撃での意識障害か判断つかずということになりました。

 



私は、この時、このてんかんの検査さえ終われば

いろいろハッキリして終わると思っていたのですが、そうではありませんでした。

 

人身事故扱いとなったからです。

 

事故後に、被害者の方が怪我や体調不良で病院を受診し、その後警察に診断書を提出した場合は人身事故の扱いになるとのことでした。

 

病院へいっても診断書を出さない場合もあるようで、その場合は物損事故で処理されます。

(診断書を出す出さないは個人の裁量なのでしょうか?今回は、担当した警察官が関係者みんなに、受信後診断書を提出するように伝えており、それに従う形でした。保険会社の担当者に聞くと、警察署への診断書の提出を強制されることはないと説明を受けました。

私のてんかんの可能性がまだハッキリしていなかったことで、診断書の提出を強制されたのかな…。危ない事故が起こる可能性がある事案として、戒めのためにも強制されたのかな…。

救急車で搬送されたからかな…など、想像しています。)

 

今回、人身事故となったことで

警察署での調書を作る必要がありました。

こんな経験ももちろん初めてで、

警察署に出向くことさえ、怖さで震えました。

 

今まで警察署へは、

免許の更新にしか行ったことがなかったのに、

(免許の更新の時でも、あまり心地よくない場所)

自分が、加害者として警察に呼ばれてる…。

 

冷静な脳みそは、逮捕はない、牢屋に入ることもない、もしもがあってもネタになると思えば死にはしない、と順を追って考えているのに、

妄想があっちやこっちや忙しくて、

その瞬間瞬間に身体が反応して、

もう生きた心地がしませんでした。

 

感情と、それに伴う身体の内側の変化が激しい。

 

本当に、自分自身の内側で、

怯えて狂いそうな、パニック気味の自分と

 

沈着冷静で、全てを俯瞰している自分が

共存していて、

 

それが同時に感じられることに気持ち悪さがあり、何か作業に集中していたくてたまりませんでした。

仕事に行かせてもらえて、仕事に集中できて、本当に助けられました。

 

自営の方の仕事も、休むことなくしました。

個人セッションや講座、シュタイナー関係も、

今ココに集中することで、

大元にかえれる自分の強さを感じることができました。

起きている内側のあれこれとは、自分の意識次第。切り離すことができる。

以前から知っていて、実践していたことでしたが、このような状況でも豊かさへ身を置くことができることを、改めて証明でき、自分の自身にもなりました。

 









 

調書を作る日、小雨が降っていました。

警察署での調書の作成。

まだ事故後の運転も怖く、その上、雨。

かなり時間に余裕を持って出発したため、到着が早すぎました。駐車場で読書が進みました。

警察官の方が別の建物に入ったり出たりする様子も観察しながら。

 

 

この日、任意で押収されていたドライブレコーダーの映像を、事故後はじめてみせてもらいました。

 

警察に指摘されたのは、数回のふらつき。

居眠りをしていた可能性を言われました。

ふらついたすぐ後に、気づいて元に戻っていると。

ボコボコした塗装の、音の鳴る中央線なんでしょうと。

 

でもその道は、音の出る中央線ではないんです。

本当に、ふらついてはいるけど、すぐ戻っていて、車間距離も一定、ブレーキなども必要な時にふんでいる。

 

前方に事故とは別の車が走っており、

常に、その車とほぼ一定の車間距離で

事故現場の信号までにあるすべての信号でも、

減速しながら、きちんと停車していました。

 

最後の、追突した信号の箇所だけ…。

居眠り?

本当に、記憶がないので、全くなんとも言えない状況でした。

 

 

刑事ドラマでよく見る、取調べ室。

本当にそのまんまでした。

マジックミラーだなと思う窓もありました。

指定された印鑑しか持ち込めず、

もう犯人そのもの。

(加害者だから、犯人か…)

 

水を飲みたくて申し出た時も、

「では休憩にしましょう」と時刻を書類に記載されてから休憩に。ついでにお手洗にも行き、その後戻ると、また時刻を記載して再開です。

 

自分の本籍地や、出身校などの学歴、職歴、犯罪歴、家族構成など確認された後、事故について調書の作成となりました。

調書には、それら全てが記載されました。

 

が、記載されなかったことも。

 

それは、理論的科学的に説明できないこと。

私にとっての体感覚、その日起こっていたこと。

 

前の記事にも書きましたが、形に残していく、基準のハッキリした世界なので、形ない世界のことは残せないということでしょう。

また、私の自営についても記載されませんでした。分野が扱いづらいのか、もしくはちゃんとした株式会社で働いているのなら、そちらをということなのでしょう。

 

警察官の方からすれば、心象が良くなると感じたものを選択されたのだと思います。

 

私も理解はしています。

この社会の構造も、今回の事故でかなりハッキリ理解できるようになりました。(遅いのですが…)。

 

でも、自分にとっての真実は、周囲にとっての真実ではなく、見えないものは採用できない社会なのだということを見せつけられ、寂しさや、苛立ちも覚えました。

 

いろんな境界線があることで仕事がしやすい状況になっているのだと思うので、仕方がないというか、それが合理的なのだと思います。

 

線引きをすればするほどに、真実からは距離ができるのはどの分野でも同じだけど仕方ないのでしょう。

 

 

3時間ほどかかったでしょうか…。

 

調書作成が終わり、

この調書を検察に送ることを教えてもらいました。

おそらく不起訴になるのではないかとは思うけど、もちろん言い切ることはできない。

何かしら書類が届くと思うので、気にしていてくださいとのことでした。

 

もう、疲れ果てていました。

緊張で。身体がカチカチでした。

 

この段階で終わったと思っていたんですが、

まだ終わりじゃなかった…。

知らないって、見通しが立たないから困りますね。

でも、こんな経験、そんなに多くの方がするものでもないですよね…。

 

私にとっては、長い長い時間です。

まだ続きます。

 

事故の記録をしています。

前回からの続きです。



まずは事故の翌日、救急外来へと行きました。

事故当日は気も動転しており、とにかく体をゆっくりと休めたい、何も考えず横になっていたかったので、病院受診は翌日へとずらし、夫に同行してもらいました。


休日、そして1月と言うこともあり、救急外来は人でごった返していました。

咳がひどい人、熱がありそうな人、椅子に座っていられず寝転んでいる人。いつもならそんな空間にいると自分まで病になりそうな気がして嫌になる所ですが、その時は全く何も感じず、もう自分のことでいっぱいいっぱいでした。

病院自体にあまり縁のない私なので、どのように振る舞えば良いのか、多少挙動不審だったかもしれませんが、普段周囲のいろいろが入ってくるタイプの私のセンサーは、完全にオフになっていて、周囲なんていてもいなくても何も関係ない状態でした。

 

待ち時間が長そうなことはわかっていたので、本を何冊か持っていていたのをとにかく集中して読みました。集中だけは保ちたかった。今思えば過緊張だったのかもしれません。スマホしか持っていなかった夫の方が暇さにしびれを切らし、いちど帰ろうかなぁと外に入れたり、また中に入ったり。


帰りたそうだけど、でも私の隣にいてくれようとしているのを感じて。本当にありがたかったです。

究極の心理状態で、冷静を保っているようにみせてはいても、やはり普通ではなく…。

ただそばにいてくれているということが、どんな力になるか。


病院では、何をどう説明するか、言葉での説明に疲れと限界を感じていたため、事故の写真を撮っていたのを見せながら感覚的に理解してもらう努力をしました。


この日は、問診の後に、血液検査やCT、エコー検査をして終わりました。

この日に検査予約を取る予定でしたが、明日改めて病院に行き、そこで検査予約を取るように指示があり、翌日も早朝から同じ病院に行きました。


てんかんと言うキーワードが出たこともあり、受診は脳神経内科でした。

私は過去に精神を病んだことがあり、神経内科や心療内科などの受診経験はありますが、どのような診察や検査になるのか、そして結果を妄想しては、とにかく緊張していました。


自分はてんかんかもしれないと思う日々は、

本当に私を狂わせました。

不思議だけど、いまにも発作が起こりそうな気がしてくるんです…

何か、身体の内側の微細な変化を感じては、発作が起こるんじゃないかと恐れることが増えました。


そして、それにはたと気づいては、

気持ちで病気になっている…

私が病気を作り出してる…

わからないから不安だけど、想像して恐れることはやめよう…

と、言い聞かせる日々でした。


PTSDというのかもしれない、という症状にも

1〜2ヶ月ほど悩まされました。(ここについては、病院では相談しませんでした。私にとっては、病院受診はてんかんか否かを判断してもらうためでしたから。)


車の運転をするのが怖くて、でも仕事には車で行く必要があったため、恐怖と隣り合わせでした。


自分はちゃんとブレーキを踏んで止まる行動をしているのに、そのまま突っ込む映像と衝撃が、記憶とともに戻ってきました。

体って不思議で、あの時と全く同じ衝撃がきて、ちゃんと感じるんです。実際の物理的な衝撃ではないのに、脳は衝撃を感じてる。その疲労は半端なかったです。


現実は違う。

そう言い聞かせながらも、その映像と衝撃を味わうしかなく、自分の内側で起きるその感覚と付き合いました。


大きくパニックになることなく、感じながらもそれを俯瞰して見続けられたのは、今までにしてきた、いろんなワークのおかげさま。

自分の様々な感情と向き合ってきた努力の結晶だったと思います。


【病は気から】

それを、ありありと感じた約1ヶ月でした。


私の母や、職場の上司が、「てんかんってことはないわ。」と言い切ってくれたこと。

身体の痛みとかはなかったんですが、とにかく「精神的にでも何かあればその都度何でも言うように。力になるから」と言ってくれたことに、大きく支えられました。


仕事していた方が、考えなくていいから気がまぎれるだろう。と言ってくれたり。

でもきつかったら遠慮なく休めばいいと。


優しさに何度も泣きました。




脳波の検査は、

何か、スクラブ入りのジェルのようなものを頭皮に塗って、たくさんの電極をつけて、ベットに横になってはじまりました。

とても眩しい光が、チカチカと、いろんな速さで点滅します。目をつぶっているのに、すごい明るさなので、瞼を通して刺激がきました。

点滅の速さがいろいろ変わるのですが、超高速での点滅は、苦しくなって、叫びたくなりました。


何とか最後まで耐えましたが、途中何度か発狂しそうになりました。


てんかんもちの伯母は、この脳波の検査を最後までできなかったそうです。

その気持ち、わかります。。。

てんかんの有無は、脳波の波形で判断するのでしようが、途中退室したくなって、とても内側がザワザワしたので、それが何か脳波に影響しただろうかと、そこを心配することになりました。

検査結果が出るまで、気が気ではなかった。


もう生きてるうちには、したくない検査です。



MRIは、また別日に検査しましたが、

私が以前、約20年前に受けた時には、音が大きくて、それこそ気が狂うんじゃないかと思うほどでしたが、今は変わっていて、耳栓をした上に、しっかりしたヘッドホンをさせてもらえて、音はとても小さく聞こえるだけだったので、あっという間に、快適なうちに終わりました。

拍子抜けするくらいでした。


閉所恐怖症の方は、MRIの機械の狭さや、頭や胸を固定されることで怖い思いをされるかもしれませんね…。


病院では、各分野の専門家の方々に大変お世話になりました。


コロナ以降、医療に対しての様々な想いもあったりして、スッキリしない感覚があったのですが、今回の事故では少しだけ見え方が変わりました。


専門分野を深めた働き方をされていることへの尊敬は、とても大きくなりました。

やはり、専門を一本にしぼって仕事をされていることには、羨ましいというか、自分にはそんなことができる気がしれないというか。自分ができないからこそ尊敬の想いが強くなりました。


それと同時に狭さもたくさん感じました。

切り取ったイチ分野のみで事象を判断して語る姿には、いろんな疑問を感じました。


される質問に対して、素直に私の事実を答えれば精神疾患と認められるんだろうな…と思うようなものもあり、憤りや違和感も感じながらも、面倒ごとはもうこれ以上増やさない方がいいと思って、回答しなかったものもあります。


(たとえば、私がリーディングなどする状況は、まわりとの境界線を曖昧にしたり、一般の人が感じない何かを感じていたりしますが、

そういうものを認める回答をすると、おかしな人で治療対象になるんだろうな…と思うような問診がありました…

こういうのって、現代人が忘れてるだけのように思うんですけどね…昔はあったでしょう、現代人が退化してるだけだと思うのに。

何が普通なんでしょう。時代によって変わる「普通」に、こちらが出し方を考えなくてはいけないなんて、本当に面倒くさい。)



最終的には、てんかんの可能性は極めて低いという結果となりました。

てんかんの初期症状として疑いがある場合に出る、何か特別な波形も全く見られなかったとのことでした。


が、絶対にてんかんではないと証明できるものではないとのことで。(そりゃそうですよね…)

事故時、意識消失していたのか、事故の衝撃による記憶障害なのかは分からないという結果となりました。


そして、そのまんまを診断書に書いてもらうことになりました。



警察の人からの電話で、

この、てんかんではないことの証明はできないという辺りをかなり厳密な、執拗な言葉で突いてこられたのが、個人的には一番感情を揺らされた怒りを覚えた出来事でした。


こちらが素直に、オープンに、真摯に、ありのままに進んでいるのに、それを逆手に取る感じといいますか、ゴールを勝手に設定されている感覚を感じてしまって…

言葉尻を取って小さな所で攻撃する、陰湿さを感じて、何とも腹が立ちました。

(私はこの「陰湿さ」にいつも反応します。大人だけではなく、子どもの陰湿さも怒りが沸騰するポイントです。)


実際に、こればかりは耐えられずに警察官の方に聞きました。

「ゴール地点、すでに決められてます?」と。

「いいえ」とは答えられましたが、先方の感情が揺れたように感じ取りました。イラつかれたとしても、口に出して少し修正してもらえたらとしたら良かったと思いました。

こっちの素直さ従順さをいいことに、わざわざ突き刺しにくるような陰湿さは許せません。


警察の立場的には、論理的に説明できる落とし所をいただきたい。ということだったのは分かっています。


ただ、警察といえども人間だし、

かつ"科学的に"証明できることのみ残していけるわけで。その中で論理的ではない見えない話をする人間は、時間の浪費をさせられているような感覚で、イラついただろうと思います。



とにかく、ワナワナするような、ザワザワするような、泣きたくなるようなことの連続だったので、夫や、保険会社の担当の方には大変お世話になりました。


自分の社会経験のなさを、最初から最後まで、ずっと感じていました…。

ほんとうに、世間知らずだったなーと。


今回のことを報告したある方には、「自分が世間知らずって知れて良かったじゃない!大した怪我もなく、いろんな体験ができてよかったよ。守られたね。世間知らずと知れたからこそ、『おかげさまです、みなさん教えてください、助けてください』って生きていられる方が、知ってるって威張るよりはだいぶいい気がするよー」と言われ、学びながら、おかげさまで生きていこうと強く思いました。



人は優しかったです。

実際にみなさん、ちゃんと助けてくださいました。

ありがたかったです。


この事故で、山ほどの経験をさせていただくことになりました。まだ書いていない経験も。苦笑


そして、自分の強さも弱さも、たくさんたくさん、一気に見せてもらいました。

「大人のシュタイナー時間」

隔週ならぬ、隔月で開催しています。


なかなか告知が徹底できていない中、

情報に出会って来てくださる方がいらっしゃること、とてもありがたいです。



今回は6月16日(月)の開催でした。


今回は、

◇お手玉

◇ぬらし絵『創世記』1日目

◇枝と草木染め毛糸を使ったcross weaving(クロスウィービング)


というラインナップでした。










いつも教えてもらうのは、

何ができるか、何が残るかが大切なんじゃなく

その時間そのもの、

「今」「今」を感じる

ということ。



自分の内側でうごめく感情に気づいたり、

子供のころのような感覚に戻ったり、

何かをふと思い出したり、

ただただ集中したり。


出来上がった後、

また、それを見てどう感じるのか。



シュタイナーでは、完成形を見せたり、説明したりしないそうです。


ゴールとなる見本を提示してしまうと、

そこに基準ができてしまうから。

創造性に制限がかかるし、

同じものが生まれ出すから。


やり方をその場その時間に共有しながら、

それを聞いて見て一緒に進めていくことで、

完全に自分のオリジナルが出来上がる。


編み方が逆になってしまっていたら、

みんなとは、また違う作品に。

それを面白い!とサラリと受け取るひともいれば、

先生が思い描いていた完成形とズレていることが心地悪くて、やり直したいと思う人もいる。

(これ、やり直したくなるの、私なんですが笑)




色をこうしたかった。

次はこのようにしてみたい。

違うやり方をやってみようと思う。

もっと強く(もっと優しく)やればよかった。



こうやって、自分の内側から

湧き上がってくるものに気づいて、表現していくことがいいなと思います。



大人の方にとっては、

自分の深い部分や

忘れかけていた子どものころの純粋な感覚に

出会う貴重な時間になりそうです。


実際に、ご参加くださった方がとても嬉しい感想を投稿してくださっていました。



・・・・・・・

今日は「大人のシュタイナー時間」へ。

@yoko_ramat 

@psyche_okayama 

@teshigoto_okayama 


先月参加した草木染めのイベントで

たまたまお話しさせて頂いた方から

今回のイベントを教えてもらいました。


子どもが小さい頃に

シュタイナーに触れる瞬間が

ほんの少しあったこともあり

「なんとなく行ってみたい」

「自分のために手仕事してみたい」

という思いに従ってみました。


参加してみると

幼いころの

ただただそこにいる

シンプルな自分に 

瞬間的に戻った感覚。


ジャッチのない

本来の私。


自由に手を動かし

じんわり、静かに、時間を楽しみました。


植物療法を学ぶ中で

感覚を信頼することを

自分に許すことの大切さを知りました。

知ったというよりも

それが命の本来の状態で、

日々その感覚を思い出させてもらっています。


外側からの要求ではなく

まずは自分の感覚を大切にすることで

体や心が整う。


そんな中で出会った

今日の手仕事時間。


手仕事をしている最中

こんなにも

サラッと軽やかに

たち現れてくる

本来の自分に

衝撃を受けた時間でした。


シュタイナー教育では

事前に完成形を提示せず

手仕事が進むそうです。


やり方はあるけど

正解はなく

それぞれ命の表現がある。

それが当たり前のこととして、そうなんだ。


と感じて


そんな場が素敵だなと思いました。

ーーーーーーーーー



言語化してくださって嬉しいです!

ありがとうございます。




次回の「大人のためのシュタイナー時間」は

9月29日(月) 10:00〜13:00 開催です。




みなさまのご参加、お待ちしています。


事故を起こしてからのあれこれを、

感情の揺れなども含めて事実を記録しています。

前の記事からの続きです。



車での事故の瞬間の記憶がないと言うことと、

私が「わたしの事実」を語ってしまったことから

警察からてんかんの疑いがあるのではないかと言われました。


てんかんである場合、

車を運転すると言う事は大きな過失となりうるようです。


今までてんかんの疑いなど持ったことも持たれたこともなかったので、ふってわいた話に驚きました。



実は私の伯母が、てんかんを持っています。


幼少期から伯母の発作の様子はよく見てきていました。激しい発作の時は本当に危なくて、どこで発作が起こるかでケガの具合も変わってきます。

本人も家族も苦しんできたのを見ていたので、てんかんではないかと言われたときに、本当にいろんな思いが巡りました。


これから先私自身がもう車には乗れないかもしれないと言う不安ももちろんですし、自分にてんかんの疑いがあると言うこと自体が恐怖でした。


自分はてんかんなんじゃないか?


そう思って過ごす日々は、生きた心地がしませんでした。

もしも、またこの前みたいな事故を起こしたらどうしよう。記憶が飛んだらどうしよう。


運転しているとたまに来るフラッシュバック。

衝突の映像と共に、衝撃のエネルギーが身体をかけめぐる。心拍数が一気に上がる。

そして不安に包まれる。


かなりの精神状態だったなと

今振り返ると思います。

これがPTSDって言うんだろうか…

どこか冷静に分析してる私もいました。


何を体験させられているんだろう…

そう思いながらの毎日。


でも、今までの学びが随分役に立ちました。

呼吸や意識をつかって落ち着くことができて、

意識の扱いで切り離すことができて、

なんならリセットして、

講座も、クラスも、させてもらっていました。


よくやった!!と自分を褒めたいです。



家族や友人知人の支えに、本当に助けられました。

何度も嬉し泣きしました。

ほんとうにありがたかった。



そして、あの時ほど、伯母の気持ちに寄り添えた時間はなかったかもしれません。やはり近くで見ていたとは言え、伯母自身の気持ちには到底なれていなかったことが、今回警察から疑いをかけられたことで浮かび上がりました。


彼女の、理解されないという孤独な気持ちなど

痛いほど感じていたのに、

やはり人って、同じような経験をしないことには本当の意味での寄り添いはできないのだと思います。


それが、ハッキリと分かった瞬間でした。


わたしは

てんかんだと証明されてしまうのか、

てんかんではないことを証明できるのか。


分からなくて不安ですが、

とにかく行かなくては何も始まらないと

ひとまずの救急外来の受診にはじまり、

エコー

MRI

脳波検査

と、


検査のために大病院に通うことになりました。


かなり久しぶりにいく総合病院。

それだけで緊張します。


検査のことなど、また次の記事で。