みなさんには、

否定している人や

見下している人っていますか?



これ、たまたま見つけたYouTubeの中に例としてあったんですね。で、自分に起こっていた引っ掛かっていたことを考えるきっかけになりそうだなと見てみたんです。




これ、すぐ答えが出てくる人もいれば

なかなか出てこない人もいると思います。


否定してる、とか、見下しているっていくこと自体を認めることが難しかったりするかもしれません。




私自身、どうなんだろうと考えてみました。



きっと、探せば他にもいると思いますが、

瞬発的に拒否反応が出て

否定してしまう人物像は、


「感情に任せてものを言う人」です。


幼少期の母の姿や、

家族間の怒号の嵐…


それによって、人間の感情のもつ

重たいものや鋭いものをたくさん感じて

時にはそれを何とかしようと身体を張ってきたので


負の感情のもつ、痛々しいエネルギーの怖さを身をもって知っているんですね。


だからこそ、

それを安易に発する人が好きではありません。

聞いていると痛いです。


音や声にもエネルギーがあるのを

ありありと感じるタイプの人間なので、

怒りで物にあたる音なども肉体的にこたえます。わたしにとっては、物理的な痛手と同様なショック。


なので、そういう音を出す人が、本当に苦手です。



こういう、

自分が否定している人や

見下している人って


自分の中のそういう部分を

否定したり

見下したりしてるっていうことはないかな?

と考えるきっかけをくれるんです。



私の場合、

「感情に任せてものを言うこと」を否定してないかな?と問うてみると、


わたしは、感情に任せてものを言う人を

反面教師としてきたので、感情を律することは上手になりましたが、深い部分では、私の感情のままの表出はできていない可能性があって、まだ統合できていないようです。


反応の度合いはだんだんと下がってきていて、

感情でものを言っている人をみても

ざわつきますが、その人の問題だなーと

何となく背景を思って終われるようにはなっています。


が、自分自身の感情については

あまりアウトプットすることはないですし、

かなりきつい状況の時のみ、整理したのちに他人に聞いてもらうのですが、その瞬間に人に聞いてもらうことはストップをかけてるなーと思います。


誰も聞きたくはないだろうから、他人にとってはいいと思うけど…


中庸かどうかでみれば、

ストップかけてるってことは、

どっちでもいい中庸の状況ではないんですよね…


ここ、統合できたら楽になるだろうなぁ。


わが家の場合は、不登校の次男坊が

これを見せてくれてます。笑


彼にいろんなことを話しながら、わたしは私自身の深いところにこの声を届けてるんだなーと思うんです。

そして、分かりやすく見せてくれて気づかせてくれる次男に、感謝する日々です。



みなさんも、自分が否定してる人、見下してる人いないかなーって、ちょっと考えてみてください。

仲間外れにしてた自分自身を、統合していけたらいいですね!