久しぶりに文字で

メッセージで会話をした友人

 

ご主人とのパートナーシップで

ざわざわしているようだった。

 

彼女と話をしながら

私は自分自身の夫との

パートナーシップを振り返った。

 

 

私もいろいろあったよ…。

キネシオロジーをしていた時

先生から

別れた方がいいんじゃないか?

と言われたこともある。

 

見えない世界の案内をしている方からも

陽子さんは

執着ってくらい旦那様に関わるのねー、と

言われたりしていた。

 

 

実際に、冷静に振り返ってみると

別れたらラクだったかもしれない。

 

そのくらい真逆だったから。

 

 

これだけ潜在意識を学んできて、

個人セッションで言われたことも

大部分は採用してきたし

見えない世界のナビにも

大方信頼して方向を委ねてきた。

 

 

けれど、

そういうものに反して

自分の直観に従ってきたものもある。

 

 

誰に何を言われても

最終的には自分自身の

内側がどう言うかが

「最終決断」になる。

 

 

誰か

ではない、

「わたし」の声に従う。

 

それは説明の仕様がない

純粋な感覚。

 

 

これは、私のセッションを

受けてくださる方にも

お伝えするんだけど、

 

最終的に選ぶのは

わたしではなく

あなたですよ。ということ。

 

 

久しぶりの友人は、

「パートナーシップについて聞くのは

陽子ちゃんだと思って」

と言ってくれた。

 

それは、

スムーズにうまくいっている

という意味では、きっとない(笑)

 

違いすぎるくらい

違う相手だけれど

真っすぐに向き合って

尊重し合おうとしている

その関係性に

すごさを感じるらしい。

 

 

私本人としては、

ずっとケンカもしているし

どうしてまぁ、こんな人と

一緒になったかね…

と思ったこと、何度あるか(笑)

 

そのたびに

エネルギー消費は激しいし、

いろいろ思考も働くので

疲れるしで、

なるべく穏便に済ませたいのに

そうは問屋がおろさない。という…

 

 

でも、夫と対話を繰り返すたびに

深い部分が見えてくる。

 

というか、

潜在意識を扱うので

深い部分も最初から見えるけど

人が出したくないものを

無理に差し出させるにはいかないので、

相手が出してくれたり

安心して委ねてくれたりするまでには

本当に時間もかかっていて

イライラも途中するけれど

とにかく自分自身なので

自分との対話あるのみ。

それを夫と対話するときに伝える。というね。

気が遠くなるようでもある。(笑)

 

 

表面的には180度違うと

言っても過言じゃないほどの

凸凹具合だけれど、

深い部分では

本当に愛するということ、

愛されるということを

求めていて

 

それを感じれば感じるほどに

 

これは、すべての人に共通する

愛のカタチなんだろうなぁ…と

愛おしくなるという、

なんとも不思議な関係性。

 

彼ではないと

こんな女性は相手にできない

だろうと思うし、

 

私でないと

全てを受け入れてあげることは

できなかっただろうと思う。

 

 

そんな関係性なもんで

きっと友人も話をしに来てくれるんだろう。

 

 

尊重する

とか

対話する

って、

 

言葉では多様されるけれど、

 

本当の意味で

生活の中で

 

人様を尊重したり、

他人と対話するのって

 

簡単じゃなくて。

 

 

だって、自分が出るから。

自分のエゴが出るから。

 

 

人って合わせ鏡じゃないですか。

なので、人を通して

自分が見えすぎるんですよね。

 

子どもにしても

夫にしても

妻にしても

両親にしても

 

反応する部分って

自分のエゴが出ているわけだし

 

尊重しようと思ったり、

本当の意味で対話をしようと思ったら

 

過去の感情の解放が必要だったり

俯瞰して自分をみることだったり

 

そういうことが

ずっと必要になるから。

 

 

だから

役割を引き受けて

それをしているだけの方がラクかもだし

 

パートナーが〇〇だから!

とか

もうこれでいいんよ!!とかって

 

相手を悪く言ったり

自分を諦めたりしてるほうが

自分が守れてラクだしね。

 

 

 

 

大切な人を大切にしようと思ったら

もっと大切な

自分自身を大切にしないと

できないんですよね。

 

 

今回のやりとりで

友人との過去のやり取りも

目に留まったんだけど、

 

私は今現在感じている

「闇」を認め、

統合していくことが得意なんでしょうね。

 

 

そういえば

【陰を陽に転じさせる人】だって、

言っていただいたことがありました。

当時は、そんな人間になってみたいなぁ…と

遠い目で未来をみていたわたし。

 

 

 

 

やりとりした友人いわく、

わたしは

闇も引き受ける覚悟をしていて

それを超える勇気がある。

 

闇について感覚的に極めているからこそ

闇は愛だと知っていて

そんな愛を感じてあげるから、

闇は涙を流すほどに喜んでいる。と。

 

 

確かに、私の中に

闇とか光とかいう認識の線引きはないから

どちらもどちらもになり得るわけで。

 

言葉上、闇とか光とか言ってるだけだから。

 

 

 

でも、ここに至ったのはね、

私がすごいなぁ!!と思う人たちを

真似してみてるからなんだよね。

 

その方たちの共通点は

とにかく自分に集中。

内側の動きに素直でいて、

そこからの気づきを

家族やパートナーとシェアし合っててね。

 

何よりも自分を

そして、家族を仲間を

大切にしてる。

 

 

 

私が惹かれる人は、

男性であれ、女性であれ

自分自身の感情の統合を

日常でしていて、

 

身口意が一致していて

 

ミラクルが当たり前に起こってる人たち。

時空をゆがめる人たち。

 

とにかく自分自身に素直。

少女や少年のような人たち。

 

 

 

…そういえば、思い出しました、最高の思い出。

 

ある尊敬する方に、

私が聞いた「闇」のシェアをしたときのこと。

そのわたしが口にした「闇」が、

その方にとっての今までの人生の答え合わせであったと言われたことがある。

その人の過去の一連を照らしたと言われ、

その人にとっては、

「闇」話が天からの「YES」であったらしい。

その尊敬する方からは、

「ありがとう」をいただき恐縮し、

その「闇」話を聞かせてくれた、

ネタ元のある人にとっても

私の聴く行為は「ありがとう」であって、

そんな「ありがとう」の循環を起こせていることに

わたし自身は「ありがとう」でしかなく

こんな循環があることに感動し涙した。

 

 

「闇」であっても、

誰がどう動かすかで「ありがとう」になりえる。

 

それは純粋さや

エネルギーが関わってくる。

 

文字では書きづらいけど、

「闇」と思っているものが

「闇」ではないことは五万とあるし

 

どういう循環をするのかで

「光」にも「感謝」にもなるから。

 

 

 

つーまーりー

最近子どもたちに、

話が長いと「つーまーりー?」と

合いの手を入れられる山本です…。

 

とにかく今を感じて

素直に生きていきましょう!!

てこと(笑)

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