たまたま投げかけられた

「ギフテッド」て知ってる?のLINEから


ドドドッと

いろんなものが押し寄せてきた。


うちの息子が小さい頃IQも高くて、

記憶力は半端ないし、

気持ち悪いくらいに好奇心の塊で

本当に親としても怖いくらいに感じてた。


でも伸ばしてやりたくて。

彼の個性を伸ばす、邪魔しない、それだけを気にして育児してきてて、気を遣いすぎた面もあったなーと思ったりするんだけど。


最近の彼をみていて、

私ももしかしたら、こんな風な人間だったかもなーと思うことがよくある。

好奇心とか、集中力とか、人との距離感の近さとか、こだわりとか。似てる所がかなりある。


そんなこんなを思ってて、

私が反応するもの、

ちいさなころから反応してきたものを

思い出した。



差別


違いを見つけて上下をつけること




それに、私はずっと辟易としてきた



部落差別

人種差別

いじめ


障害者と健常者


そういう類いが

小学校上がる前から、心底いやだった。

こんなこと言う小さな人って、年相応じゃなくて気持ち悪いんかもしれんなと思う。

けど、引っかかるんだもん仕方ない。




わからないことは

知りたい!!と強烈に思う。

わからないから知りたい。

納得できないから知りたい。



どうして蔑むのか、蔑まれるのか、

わたしの感覚と異なるから、知りたい。


大人に聞くと、だいたい怒られた。

そういうもんなんだ、と。


そういうもんて、どういうもんよ?

放棄するのも甚だしい。

納得させてくれんと困るんよ。気持ち悪くて。


いじめと部落差別を同列で聞いてみた。

してること同じだよね?なのに何で大人は部落だ何だと分けたがるんだ?と。


あんたがそういう人と付き合ったら縁を切る。

みたいなことを言われた記憶もある。


周りから縁を切られるから、そうなったら生きられなくて困るから、あなたと縁を切る、そう言われた。わたしの主張はもっともだけど、そういうもんだから仕方がないと。


間違いを間違いだと言えないのかと、親に対して、心底がっかり絶望したのをハッキリ覚えてる。


うちの親は狂ってる。

日本は世界は狂ってる。

そう思った。



全く理解できなかったし

周りにはわたしの理解を助けてくれる人はいなかった。


そういうもんだ!?

そういうもんだと思えない私はどうしたらいいんだ?


わたしにとっての、地球が

訳のわからない生きづらい場所になった。


「わからない」と言ってくれてたらと思う。

「ごめんね、わからないわ。一緒に考えてみようか。」そう言ってくれてたらよかったのに。



怒られると反発するでしょ。


わたしは何が本当か知りたかったから、

ご縁があれば、多数から嫌がられている人とも付き合いをしてみた。


入墨が全身に入ってるような人とか、それこそ部落の人とか、ホームレスの人とか、ボロッボロの家に住んでた人とか。


今思い返したら、無意識にそういう人に会いたがってたんだと思う。


みんな優しかった。

優しすぎるくらい優しかった。

わたしは息がしやすかった。

べきがなかったからかなと思う。


そして、余計に、何が本当かわからなくなった。






大きくなってからいろんなことを知った。


けど、それまでに私は、

疑問を投げると怒られるから聞かなくなってた。

新聞や本を読むのが好きになった。

人は建前があって、内面とは違うことを知って、物事の本質をみるようになった。

本質で語れそうな人を選ぶようになった。

そして、多くの人は本質を見る技を持ってないことも知った。



こういう流れで、私はいろんな仮面をかぶってきたんだと思う。

小さな頃にいろいろ見えすぎたんだ。

外側の世界と適応するための仮面生活で、随分いろんなものを遮断して、いろんな術も覚えたし、内外一致していない気持ち悪い人間もやりきった。

それで精神を病んだりもして、ここでまた、精神病当事者という差別を受ける立場も知ることになった。



きっと私は、矛盾とか違和感の許容量がびっくりするほど小さいんだと思う。

それが社会性に欠けるということとイコールに扱われたりするんじゃないかなと思ったりする。


でも、私はキネシオロジーとの出会いでかなり余裕が生まれた。以前にまして、随分バランスは良くなったし、許容量もアップ!




成長した私は、世の中の流れや政策には意図があることを知った。現実や現象は意図から生み出されていることも知った。


出来事は、たったひとつの点であって、

もっと引いてみてみると、どこかに向かう線になることとかも知った。



その構図をひいて、システムを作った人が勝つんだと世間はよく言う。資本的にはそうなのかもしれない。

でも、今よくある、上下のシステム、管理システム、差別システムは、やっぱり恐怖や不安に基づくシステムだと感じるし、力があるからこそ厄介に感じて押さえておきたいんだねと感じてしまう。


本質をみてさ、

横で繋がっていきたいんだよね。


楽しみや協力で成り立つ関係性がいいんだよね。


私はそれをしっかり意図していきたい。

そういうことを意図した場所を作ろうとしてる。



個性も能力もひとりひとり違うのに、同じにしたがるからおかしいことになるわけで。発揮しまくればいい。発揮できる自分になればいい。そこへの許可がおりればいい。


恐るから押さえ込む、

恐怖の視点で見るから、恐怖が起こる。

もう卒業して、反転させたい。


地震が起こってもおかしくないなと思うほどに

膠着しているエネルギー。

振動が止まるほどの恐れや不安の重たさ。


個々人が感じて動いていこうよ。

感覚を取り戻してよ。

そうやって解放していこう。

振るわせていこう。


エネルギー的には、

反対側はアフリカかなー。

見習っていきたいよね。



意図を使う。

どうなりたい?どうしたい?

自分の中にある小さな違和感をちゃんと見つけてあげて、その子が教えてくれてる、生きたい場所を意図していく。


それが人生かなーて思ってる。笑