ふと頭によぎって、気になった人がいる。
なんで急に思い出したのか分からない。
けど、気になった。
この人、実は、
少し前に「この人得意じゃない…」と思って、
わたしがイラッとするから視界から外して
見ないようにしてた人。
とにかく触れたくなかった。
争いのエネルギーを持ってる人が
私は苦手なんだけど、
その人は、私の知ってる争いのエネルギー保持者の中でも群を抜いて、刃を向ける人だった(笑)
私、争いのエネルギーゼロだからね。
よく、争いたい人から絡まれるのね笑
無意識下の攻防があるんですね〜…
めんどくさいの一言なんですが。
最近は、それを感じたら軽くジャブ打つようにはしてます…後々絡まれるとめんどくさいからさ。
でも、その人は、争いのエネルギーを
不必要にまく人ではなかったんだよね。
自分の問題を外側の人に向ける人ではなかったの。
その人が刃を向けるのは、自分の所に土足で入ってくる人や、自分が大事にしているものを大事にしない人たち。
その辺りの一本は、感じてた。
でも、争いのエネルギーって、
持ってない人にしてみたら痛いだけだからさ。
だから避けてたの。
でも、急に気になりだして、
ブログとか見てみると、
かなりその人に興味もってる私がいて、
好意的に感じてる自分に気づいた。
今まで無理だと感じてたその人の言動が
カッコよく見えてる自分に気づいた。
私は今もやらない方法だけど(笑)
でもその方法を選択してるその人に
尊敬の想いさえ湧いてる自分がいた。
なかなかの衝撃だった。
それは、
自分の意見や感性に誇りを持ってるその人が
美しく見えたからだと思う。
こうやって純粋に自分の感覚に基づいて、
今までイヤだった人を
好きになれてる自分も誇らしかった。
(ちなみに、好きにならなきゃ…なんて、
これっぽっちも思ってません。
合わない人はいるさ。それでよい。笑)
一貫性がないことを
悪く言う人も大勢いるけど、
動いて体験したり、
何かに気づいて自分の感覚が変わったのなら
それに従って好き嫌いや、表現方法が変わることがあって当たり前だと私は思う。
自分の感覚が変わった。
それだけ。
今までその人を通して、
自分の中にある何かにバツつけてたから、
その人が気に触るし、
その人に刺激されて
何だかわからんけど嫌だっただけ。
つまりは自分の内側の何かに
今はマルを付けられたってことだよね。
わたしの根本にあるのは
【 違うって素晴らしい 】ていう想い。
これだけは、変わってない。
違うからこそ、
いろんなものを見せてもらえるし
気づかせてもらえるんだよ。
ベースにそれがあって、
その上で思いやる優しさある社会。
それを目指してる。
違うんだし、合わせたかったら合わせてもいい。
自由。それがいい。
発達障害っていったり、
違うことを恐れたり、
普通じゃないと押さえつけたり…
そういうの、もう古いよ。
自分と違う人から
教えてもらえることって何やろう…て
そういう視点を持ってみてー。
救世主の可能性大なんだよーー!!
統一を良しとしてきた時代はもう終わり。
どんどん軽くなるんだねー、これから。
違うことを喜び合う!!!
