ヒカリクリエイター
ラマトの森 の 山本陽子です
先日書いた母とのあれこれ。
全くもって今も同じ感覚を持っていますが、
あの時とはひとつ違う感覚が湧き上がりました。
というのは、
やはり、大事にしたい人なんですよね、
私にとって。母は。
残念ながら潜在的なアプローチや、
現状を根本から解決するということは
理解してもらえてないけども、
でも、より良く生きて欲しいと思う人だし、
できれば笑顔で会いたい人なんですよね。
母なので。
数々の困難をくぐり抜けてきている人です。
私以上に苦労してここまで生きてきてる。
母は幼少期、おばあちゃんが虚弱体質で家事のほとんどは自分でしなきゃいけなかったみたいだし、おじいちゃんはアルコール依存があり、不祥事を何度か起こしていて、頭を下げて回らなきゃいけないこともしばしば。
妹であるおばちゃんは、てんかんを持っていたので、急な発作で倒れたり、事故にあったり。
そして、おじさんにあたる人は犯罪を繰り返し犯したりしていたこともあり、警察が訪ねてくることも…w
笑ってないと書けないような、
ほんと悲惨な状況をたくさん聞いています。
前を向いて歩けなかったと。
でも、後ろ指を指されないようにしっかりしてなきゃいけなかったと。
そこに加え、
娘の私は度重なる自殺未遂、何度も生死を迫られ、時には心中する想いで、私が暴走する車の運転席に同乗し座っていたとか…。
数年前には父が3ヶ月の闘病の末にガンでこの世を去り、、、
書き連ねただけでも、
本当に壮絶な人生です。
それこそね、家系のカルマ的なものを感じざるを得ないよね…。
そんな母に幸せになってほしいと思ってたわけですが、私視点が過ぎたんですよね…。
母にとっての、
母の視点からの幸せって何なんだろうと。
とある人の話を聞いていて、
ふと感じました。
わたし、
「心を寄せる」
て、したことあったかな…。
こんなに同調する質があるのに、
それをしたことないかもしれない。
幼少期にしすぎましたので(笑)
もうあまりしたくないことなんですよね…
もしかしたら、同調して、母のなにかを共に担いでたのかもしれませんけど…
今なら、もう少しラクに違う視点でできるかもしれないなと、そう思いました。
「心を寄せる」と、言葉も行動も少し変わるかもしれない。
それも、自らは満ちたと感じている私だからこそできること。
ここから意識して生活してみたいと思います。
偽善ではなく、
優しさを寄せる。心を寄せる。
簡単ではなさそうですね。
バランス感覚が必要そうです。
喧嘩した翌日、母から何も用事がないのに電話がかかってきました。
話がしたかったんだなと思いましたが、
そんなに優しくなれる訳でもなく、
淡々と、いつも通りの私として会話しただけでした。
今度は私が電話してみたいと思います。
今わたしには、
「心を寄せたい」と思う人、出来事、ものなどがあります。
祈りにも似た気持ちですが、
それに伴って行動に移すよう、動きにしてみます。
ありがとう。