温州みかんの大暴落期にいつまでも待ちぼうけの様に価格上昇すると信じて待つだけの潤沢な余力も時間も貧農家のうちにはあるわけもない。
父親は当時雑カンと呼ばれるネーブルや伊予柑、清見へ温州みかんを台木にして継ぎ変えといわれる品種を高接ぎによって変換することが流行っていたので後追いでやってはいたけどこれもみんなやるので当然価格は暴落してしまっていた。
農協が推進したのか?行政が推進したのかはわからないけどうちの農協はハウスみかんと苺とネギに大きく変換を始めた。
元々、柑橘の産直だったのでハウスみかんをシフトする農家が大半だった。
その時うちは苺に変わった。
理由はいくつかありました。
みんなビニールハウスの施設園芸なのは同じなんだけどハウスみかんはボイラーを備えなければ栽培出来ないのに対して苺とネギはビニールハウスだけで栽培できるので初期投資が少なくて済む。
それに、親戚中ハウスみかん栽培をやっていて手伝いに行っていて真夏のクッソ暑い時期に収穫するのが汗っかきの私はこれが一番の理由です。
そして収入の問題。
ハウスみかんは1ヶ月くらいの間に集中して大金が入ってそれを1年間で使うのに対して苺は約半年間でダラダラと収入が入るのでお金が回ると当時は思っていた。
昭和59年に苺栽培を始めるのだけど当然最初からうまくはいかなかった。ただ、最初に苺栽培はなんたるかを学んだ方が良かった。
県の試験場のM先生である。
農協の栽培指導の疑問点を突いてくるM先生はその後のうちの私の人生を大きく変えていく人になる。