辻宮が通った小学校は、家から精々2分も歩けば正門へ着いてしまう近距離にあった。そこで6年間学び、朝方不意の熱発で一日休んだきりの〝準皆勤〟のうちに卒業する。

その時分はいくら食べても肉が付かない体質で、誰の目にもひ弱な少年だった。学業の方はと言うと、前半の3年間は担任教師にも仲間たちに対しても優秀な生徒といった印象を与えていたが、通知表は案外で、5の数字が並ぶことはなかった。どことなく変わった子と親に思われており、今の時代ならば真っ先に〝アスペルガー〟を疑われる子供だったかも知れない。

 

殆ど全ての仲間たちが完璧に忘れ切ってしまっているに違いない事柄を、半世紀経っても細部に渡って記憶し続ける特異性が辻宮の個性であった。これを知能障害の一形態とみる専門家もいるらしい。

同窓生の大半の名前をフルネイムで覚えており、互いが還暦を過ぎて数十年ぶりに街なかですれ違った折りに、「あのぉ、突然のお声がけで申し訳ございません、お人違いでしたらごめんなさい、奥さん、旧姓が香取令子さんとおっしゃいませんか? 令子さんのレイは号令の令で」。

即フリーズ状態に陥ってしまう相手。「お人違い…」は単なる儀礼的な言葉だ。異常とも言えるほど辻宮の記憶は確かなのだが、相手からすれば〝怪しい見ず知らずの男〟である。しかし驚きで声が出ないのはまさしく間違っていないことを証している。

「桜橋中学一年生のときに同窓でした。担任は英語の女性教師でしたよね、クラスに小峰久枝って飛びぬけた才女がいましたでしょ。私の名前はツジミヤノボル、覚えていらっしゃいませんか」。

過ぎ去った昔などない。過ぎるどころか〝留まり続ける〟過去。常人と大きく隔たったものが辻宮にあるとすれば、ここ以外にあるまい。