クマゼミの森、およそそれは新しい土地を発見した探険家の心境などとは異質のものに違いない。私は英雄でも名人でもなかった。単なる部外者にすぎないのだ。そしてそこには言いようのない空しさが漂った。これはクマゼミではない。クマゼミであるわけがないのだ。ニイニイゼミだってもう少し高い所にいるし、手を伸ばせば鳴くのをやめて逃げる算段をする。捕まれば必死に逃れようともがく。

あってはならぬ事柄を認めざるを得ないような気持ちで立ち尽くしていると、一瞬ピタッと鳴き止んだ。次の瞬間狭い範囲の移動が行なわれ、中には私のランニングシャツにたかったりするヤツもいた。そしてまた鳴きはじめる。10分間隔ぐらいでそうした動きが繰り返され、とうとう私の唇に止まる大将まで出てきた。

淡いグリーンの空気が立ち込める湯河原の真夏の早朝、本来なら幻の蝉たちと出会えた喜びで歯が噛み合わぬほどの高揚を得るべきところ、かつて覚えたことのない喪失感の只中に私はいた。これの意味するものは何だろうか。生まれながらにして在る弱者的思考の行き着く先なのか。はたまた夕べ電話でアタックをかけた少女への苛立ちの変形か。

それにしても、これがまさに虫の知らせというのだろう、夕べ思い起こしていた少年時代の蝉取りにまつわる孤高のクマゼミが、そのわずか数時間後にこんなヴェイルの脱ぎ方をしたのだから、全く不思議な話だ。

 

 

中庭に佇む私の脳裏にふと、あるラジオの実況放送が蘇った。2年前のことだ。オリンピックメキシコ大会の男子マラソンの実況だった。ローマ、東京とマラソン2連覇を果たしてきたエチオピアのアベベ・ビキラが、世界中の注目を集めるなか、3連覇を目指して参加していた。アベベの近況は決して順風ではなく、回避の噂も立っていたが、それでもアベベは敢然とメキシコへ乗り込んできたのだった。私としては是非とも諦めてほしかった。多分、3連覇が無理だということはアベベ本人が一番よく判っていたはずだからだ。

1968年10月21日朝、京浜急行川崎駅から日進町方面へ歩いていた私の耳に、高架橋の下に駐車している車の中から、レースを伝える実況が飛び込んできた。おそらく生涯忘れることのないアナウンスだ。

「先頭はウォルデ、エチオピアのマモー・ウォルデ。既に37キロ地点を通過しております。2位以下の姿は全く視界に入りません。軽快にゴールへひた走るウォルデ、祖国の英雄アベベは16キロ地点で棄権しております。ウォルデ、金メダルはもう間違いありません」