1969年6月29日。同窓生が集まった。珍しく佐々野先生も姿を見せて、なんと全部で32名がやってきて大変盛大なものになった。卒業から5年が流れていた。同窓会自体は卒業ののち毎年開かれていたが、これだけの参加はなかった。

 この日、それまで1度も出席してこなかった仲間がひとりいた。アマゾンのおゆき、藤平幸子だ。5年ぶりの再会に、やや蒼ざめたふうな感動の空気が匂う。実はおゆきの存在というのを私はすっかり忘れてしまっていたのだった。あのクラスでひとりだけ特別な仲間を挙げるならば、それは疑いもなくおゆきだ。おゆきは孤独な女生徒だった。冷ややかに扱われていた。もちろんおゆきにはそれが判っていた。けれどもおゆきの孤独性というのは、そんなことが原因だったわけでは断じてない。もっともっとずっと内部的な、おゆきの心の中にうっとうしく立ち入っている深い悲しみの記憶、のようなものがおそらくはその正体だったに違いない。

 それほどまでに印象の濃い相手を、殆ど忘れてしまっていたとは…。すると今度はその忘れ続けていた事柄の復活自体、まことに滑稽な気がした。

 

 他の連中もおおむね似たような心境だったと見え、この日のヒロインは何と言ってもおゆきで、おゆきとの再会が話題の中心となった。

 行き過ぎてしまった歳月を必死にたぐるように、おゆきはひとりひとりと思い出話しやら近況などを語り続ける。アマゾンのおゆき、5年という別段長いとも思えぬ時間の隔たりのどこかで、おゆきはすっかり天真爛漫な女性に変わっていた。いや、元々そういうオンナだったのを、こっちが気付かなかっただけなのかも知れないが。

 2次会、3次会と私たちは一刻一刻を堪能しながら漂っていた。みんな見事なほど大人になった。どれくらい経ったのか、ようやくおゆきが、そう、あたかも最後まで残しておいたのだというふうに私の隣へ落ち着いたのだった。