卒業が間近に迫ったある日の午前、何かしらトラブルがあって男子数人のあいだで小競り合いになったことがある。このとき柳本が叫んだ。「もうあと少ししかないんだぞ、やめろよケンカなんか!」

 あのときの憂いを帯びた柳本の目を、私は未だに忘れることができない。今にして思えば、柳本本人にとって学校生活そのものへの離別が近づいていたのだ。別れのイメージの巨大さというのか、昨今の進学率など及びもつかぬ時代のことでもあり、進学する者とそうでない者との、卒業を控えての感慨は随分異質なものだったろうと思われる。おそらく多くの少年少女たちの心の中に、言ってみれば宿命としての別れ、という感傷性が強く刻まれていたのではなかったか。

 

 卒業の日。どんよりした日差しが無言のまま注いでいた。式典はすべて終わり、いよいよ別れの時が忍び寄る。みんなが担任の佐々野先生と校門まで歩いた。渡り廊下からそこに至るまでの最後の時間、未来への限りない夢と、逃れることのできない空しさとをみんなで分かち合いながら、私たちはただただ握手とサヨナラの言葉を繰り返すしかなかった。佐々野先生も女子たちもやはり泣いた。涙を見せ合うことによって生まれてくる一体感というのは、生ある者の根源的な無意識の約束事なのかも知れない。その輪の中に、もちろんおゆきもいるはずだった。

 こうして私たちは四散するわけだが、このわずか45、6名ばかりの同窓生が、これを最後に未来永劫一堂に会する場面を持たないのだ。それはどうしてだろうか、そんなに困難なことなのだろうか。言いようのないこの哀れみの思いは何だろうか。これを私は、遠い先に必ず待つ死へ向かって前に進むより仕方のない、摂理としての行程が、たったいまこの瞬間からはじまってしまったことの恐怖、という以外に説明のしようがなかろうと思っているのだ。まさしく永久に散り散りになったまま戻らない私たち。

 ともあれ私は中学卒業で、生まれてはじめて本当の意味の別れを見、後戻りが叶わなくなった気後れのようなものを肌で感じた。そしてこの中学卒業を契機に、いわゆる(彷徨)ということが私の内部に息づくこととなる。答えを見出すことの出来ないテーマばかりを抱えて、いたずらに苦悩する時代の幕開けなのだった。