ところで、学問としての音楽について全くのド素人であることを卑下するつもりはないけれども、限りなくプロに近いお方の講釈には言うまでもなく太刀打ちできない。何しろ4分の何拍子なんてことが皆目判らないし、名曲と彼らが評価する中に、まるで私の好みに反するものが相当数ある点にも合点がゆかぬ思いがある。

演歌がなぜ廃れないで遙か以前から変わらぬ支持を集めているのか、それは演歌が音楽的にまことに優れたものだからだと言う。しかも具体的に曲名をひとつの例として挙げるのだ。杉良太郎が歌った<すきま風>で、「オレの好みに反する曲だけど…」などと付け加えたりする。世に出ている無数の演歌曲の中からことさら選んだのが<すきま風>というのだから、到底私には理解できないのだ。この曲が嫌いなわけではない。ドラマ「遠山の金さん」の杉良太郎編を殊の外好んだ経緯もあり、どちらかと言えば好きな曲である。だが、特別優れた演歌だと聞かされてもピンとこない。ましてや好みではないと明言する楽曲に対しての評価となれば、益々アタマが混乱してしまうのだ。

私にとって良い曲とは好きな曲のことであって、嫌いな曲は問題外である。件のお人は好きでもない曲を優れた曲と評価する。まさに私が立ち入ることの叶わぬ領域ということになろう。

 

ウィルマ・ゴイクが歌った<花咲く丘に涙して>にすっかり感化されたふうな曲を作って「哀しみ色の頃」とタイトルしたものがある。これをそのお方に歌って聞かせたところ、かなり長い講釈があって、「これは素人そのものの曲で、採点以前の問題だ」と突き放されたことがある。このお方が森山良子の<さよならの夏>を私に教えられた折り、瞬間身なりを正す感じになって「誰が作ったの?」と訊いてきた。「坂田晃一ですよ」と答えると、「坂田かぁ」とつぶやいた。このつぶやきは、「坂田ならこれくらいの名曲は当然だ」といった類のものだった。ドラマ「華麗なる一族」での楽曲や、ビリーバンバンの<さよならをするために>で知っていた作曲者ではあったが、「坂田かぁ」と、それなら納得と言わんばかりの音楽的評価はまるで私には望むべくもない。

 

このお方は<愛の讃歌>で、私が好むブレンダ・リーの歌い方を酷評する。耳を塞ぎたくなる歌い方だというのだ。エディット・ピアフを最高峰に据えるのである。要するにポピュラーソング的な<愛の讃歌>を忌み嫌うわけである。エディット・ピアフという女性歌手がどの程度の伝説なのか私には正直判らない。けれども<愛の讃歌>はブレンダ・リーなのだ。そしてこれはどちらを先に聴いたかという問題とは全く違う。

更にこのお方に関するエピソードになるが、CD持参で彼宅へ出向くことも多かった私で、ある時山崎ハコの<織江の唄>を流したとたんに「オレの部屋で山崎ハコはやめてくれ、アイツはどうしてわざわざそんなに寂しそうに歌わなきゃいけないんだよ」と、怒ったように言う。なるほど<織江の唄>は山崎ハコの中でも特別寂しい歌い方をする。もっとも<飛びます>なんていう未来志向的な曲でさえ、彼女の歌唱はどこか切なそうに聴こえてしまう。けれども私は、〝だから〟好きなのだ。好みというのは色々である。