令和6年大相撲春場所は、昔から言われ続けている〝荒れる大阪場所〟なんてものははるかに通り越して、大大大波乱のうちに終焉した。

11日目あたりからは目の離せぬ展開となり、終には手に汗握る驚くべき決着を見たわけだが、ひとつだけ非常に後味の悪い事柄が残った。

 

前日14日目、朝乃山との一番は勝てば優勝だったところ、自力に勝る朝乃山に寄り切られ、その際右足を負傷してしまった尊富士は、土俵下から車椅子で退場するという、まことに陰鬱な状況に見舞われた。

おそらく多くの相撲ファンが千秋楽の休場をイメージしたに違いない。

 

夜に入って痛みは更に募り、本人も一旦は「無理だ」と吐露したようだが、更に夜更けて親方に「出たい」と直訴。ここで親方は沈思、ここで止めれば自分も本人も後悔すると判断して背中を押した。親方も本人も常人には到底考えの及ばぬ心情だったことだろう。

この究極の決断が〝勝てる自信〟に裏打ちされたものでないことは明らかである。たとえ不戦負けでも優勝の見込みがあることは判っている。しかし本人は土俵に上がって決着を付けることを自身の〝今後の糧〟と決めた。

 

そうした信念で生きている尊富士が、立ち上がりざまの変化ワザでカタを付けようとする手に出るワケがないのである。そんな相撲を見せれば強行出場の意味は著しく薄れ、お客さんは興ざめし失望する。まして相手も急成長のご当地力士で、既にこの場所10勝している絶好調の豪の山だ。

 

ところが、NHK向こう正面解説の舞の海さんの声が聞こえて来たと思ったら、こんなことを言い出した。

「対戦相手の豪の山もやりにくいと思いますね。相手の怪我の状態が気になると思います。変化してくるんだろうか、警戒して、見ながら当たっていくと、思った以上に尊富士の踏み込みが強かったりとか、迷うところです」

「尊富士がどれくらい動けるのか、ですね、イチかバチか変化を選択するのか、ぶちかましてゆくのか、ですね」

 

「恐れ入りました、凄い踏み込みでしたね、変化を想定したりしてすみませんでした」。これくらいの謝罪があって然るべきだ。

こんな予想は尊富士の心根をまるで慮っていないばかりでなく、そもそも正面解説を担当していた伊勢ケ浜親方に失礼、という気がする。

跳んだり跳ねたりを持ち味にしていたご自身の〝過ぎた日の栄光〟が少々邪魔しているのではないか。

 

実は舞の海さんはかつてとんでもない暴言を吐いたことがある。一切話題にならないまま過ぎてしまったことが、未だに不思議でならないが…。

白鵬と照ノ富士の最後の一番だった。令和3年の名古屋場所千秋楽、全勝対決。2場所連続優勝していて3場所連続を狙っている照ノ富士に対して、夏場所を全休した白鵬。

何しろ死闘と言い表すしかなかった。これを制して白鵬が全勝優勝を果たすのだが、この歴史的大一番が決着したあと、舞の海さんは白鵬の相撲ぶりについて、「そうまでして勝ちたいか」と言ってのけたのだ。

 

因みに白鵬は翌秋場所にまた全休、そして引退。一方の照ノ富士は名古屋場所後に横綱昇進、白鵬のいない秋場所は新横綱として優勝している。

孤高の横綱白鵬にとって、あの45回目の幕内最高優勝こそ最後の優勝であり、照ノ富士戦が生涯最後の土俵となった。白鵬には引き際がはっきり見えていた。秋場所の全休は記録として大相撲史に残るものの、全勝優勝のあと引退したことに変わりはない。

あの一番、〝そうまでして〟絶対に負けるワケにはゆかなかったのである。