<小さな花>は私の中でなぜ7月の夜の銀座なのだろうか。大体あの曲に季節を当てはめようとすること自体無理があって、そこには決して普遍的でない精神環境というものが横たわっていたはずだ。ひとつ思い当たるのは両親いずれも都会の出であり、生まれも育ちも横須賀市の私には、無意識に東京への憧れがあったのではないかということ。子供心にも実に垢抜けたムードの曲だとの思いが強かったことを覚えているし、仮にも農村地帯の空気も美味しい風景を眺めながら聴き入る曲では有り得なかった。

曲の上品さを際立たせたのがクラリネットだ。楽器を的確に聴き分けるセンスを持ち合わせていない私ではあるが、カテリーナ・ヴァレンテの<情熱の花>でも、使われていたのはクラリネットだったと思う。クラリネットの音色を夏の夜の都会に相応しいと感じたとしても不思議なことではあるまい。第1回日本レコード大賞で晴れの受賞曲となった水原弘の<黒い花びら>でも、クラリネットによる間奏に惹かれた思い出がある。

 

さて、好みのかなり上位に置く曲でも、どの季節にも組み込めないものは当然ある。その代表的な曲が<ロミオ&ジュリエット>(映画音楽、グレン・ウェストン歌唱)だ。無理矢理どこかへこじ入れてしまおうとするのは無意味であり、どの季節にも入らない曲が存在するのは自然である。14世紀が舞台になっている物語で、主題曲はニーノ・ロータによって書かれたが、当時の欧州の楽曲の傾向を研究し尽くしたうえで作った曲だと、友人から教わった。劇中歌という形でグレン・ウェストンが披露するこの曲の原題は〈若さとは?〉というもの。幾度聴いてもなぜか季節が浮かんでこないのである。

 

ビートルズの曲の大半も季節を設定しづらい。<ロックンロール・ミュージック>は暑い夏に向いているような感覚を抱くけれども、分類できる曲は他には見当たらない。

先にも触れたことだが、アーティストそのものが季節に取り込まれるケースもある。例えばアダモは冬である。<二人のロマン>や<おさげの少女>なんて曲はどのように考えても冬を欲しているとは思えないのに、それ以外の季節では聴こうとしない。